今日も一段とねむいが、天気がいいのでだいぶ気分がましだ。
最近、「あいにくあんたのためじゃない」という漫画を読んだ。柚木麻子さん原作で、まだ連載中だ。くらげバンチで読める。わたしは無料部分までしか読んでいないが、通勤電車の中で夢中になって読んでしまった。
2話目の、ラーメン評論家の中年男性が一人称で語る話には最初ちょっと同情したが、読み進めていくと、この男性がいかに客観性に欠け、自身の加害性に無自覚で、前時代的で、他責思考であるかがわかってくる。現実にいる、「物凄い悪人ではないし色々悪気はないんだろうけど、いまいち話が通じない人」に対して感じることと同じ気持ちが湧いてきて、キャラクターの完成度が高いな…と思った。
また、この男性の行いで傷つき人生を狂わされた人たちが、それぞれ一人称で1話ずつ語っていくことで、この一見無害な男性の罪を明らかにしてくる構成もおもしろく、続きが楽しみだ。
だけど一方で、このキャラクターがただ断罪されてスカッとする展開なのだとしたら、ちょっと読んでて楽しくないかも、とも思っている。
この物語において傷つけられた存在として、中年女性、Xジェンダーの若者(身体女性)、若い女性、子育て中の母親、ゲイセクシャルの男性が出てくる。そして加害したのは、先述の、独身ヘテロ男性だ。この社会におけるマジョリティであり、この作中における、ラーメンの文化圏?の中においては特に強者である。
そしてわたしは女性で、明確にフェミニストで、アライでありたいと思っている。なんなら20代前半まではミサンドリーだったように思う。10代の頃は特に、男性に性被害を受けながら、同時に男性に容姿を嘲笑されていたので、憎しみを抱くしかないようなところがあった。
にもかかわらず、だ。"強者であり加害者である男性を、弱者で被害者である女性や性的少数者が断罪する"、そんな構造を、わたしは手放しに喜ぶことができない。
わたしは多分、論破して断罪して、溜飲を下げたいわけではないのだ。ただわかりあい、手を取り合いたいと思っている。
出来るだけお互い傷つけず、共に社会に生きる個として共存したいと思っている。別に積極的に優しくする必要はなく、ただ尊重しあえたらそれでいい。
断罪してしまったら、それは出来ない。だから悲しいし、かといって、傷つけられた側に相手を許せなんて絶対に思わない。
するともう、断罪する以外の方法では、傷付けられた側が失ったものを取り戻すことはできないように思えるし、だからこそそんな構造を取るしか術がないのだと思えてしまい、よりいっそう絶望的な気持ちになるのだ。
なので、この物語の結末がそんな形にならないといいなと思ってしまう。でもこれで最後にお互いわかりあえてしまったら、それはそれであまりに甘すぎるというか、現実味が無さすぎるんだろう。もし望ましくない展開になったら、属性での復讐の話ではなく個としての復讐劇として読めばなんとか受け入れられるかも。
今日の夕飯は朝からもう決めていて、しらす丼と、あおさとお豆腐のお味噌汁だ。しらすは勿論大磯で買ったもの。しらすの半分は柚子胡椒を混ぜて、もう半分は大根おろしとたっぷりの大葉と一緒にして、ご飯に乗せた。柚子胡椒としらすの相性がよく、ご飯と海苔も合わせて食べると最高だった。
あおさのお味噌汁は前回のリベンジで、火を通しすぎないようにして、量も多過ぎないよう気をつけた。前回よりかなりちょうどよくなった気がする。磯の香りが豊かな程度で、臭く感じない。
お腹いっぱいしらすを食べたし、あおさも上手く味噌汁にして食べられたし、大満足だ。魚全般に言えることだが、特にしらすは脂質が低くて、満足感のわりに罪悪感がなくていいな。
ご飯も食べたことだし、明日のために早くお風呂に入って寝よう。今日こそはちゃんとお風呂にお湯を張って、ゆっくり浸かるぞ。