虎に翼、予想以上にハマってしまっている。毎話ちゃんと面白いのだが、2週5日目(10話)、すごく面白かった。寅子が虎のごとく階段を駆け降りて、前足でがうがうと引っ掻くような動作で男を威嚇していたのが、個人的にすごくツボだった。8話か9話で優三さんに「深呼吸して」と、猛獣のようにどうどうと宥められながらふんふんしてたり、考えがまとまらず廊下をうろうろとする寅子も良かった。
あと最後、よねさんと寅子のやり取りを見て、正直「寅子、総攻めすぎる」と思ってしまって申し訳なかった。わたしは二次創作BLでは主人公総攻めの人間なので、つい…
判決をこっそり見ている桂場もまた、ほとんど顔だけの演技なのに存在感があるというか、キャラの作りが上手いよなぁ。
来週はよねさんや、みんなの背景が少しずつわかり、同時に寅子が自分がいかに恵まれているかを思い知ったりする展開が来るのだろうか。自分の特権性に自覚的になるというのは結構しんどいことだけど、きっとそれなしに弱い立場の人を守ることはできないだろう。寅子が成長していくのが楽しみだ。
特に虎に翼と関連してはいないのだけど、女性の生き方についてぼんやり考えていたら、よしながふみの「愛すべき娘たち」を読み返したくなった。中学生くらいの時に初めて読んで、その時はそれほど染みなかったけれど、大人になってから読むと何回読んでも泣けて、本当に傑作だと思ったんだよな。
電子書籍として買っていたので、Kindleアプリの本棚から早速読み返した。やはりぐずぐずに泣いた。
この作品はオムニバス形式で、各話ごとに主役が異なる。わたしが特に共感して感情が揺さぶられてしまうのは、1話目の如月雪子の中学時代の友人、佐伯と牧村を主役(語り手?)にした話だ。ぜひ読んでほしいので話の詳細は省く。
最後、幼き日に夢見ていた未来とあまりに違う今の自分たちの姿に、佐伯が「きっとこれでよかったんだ」と自分を思い込ませるしかなかったところに、如月の手紙によって本当にほんの少しの希望が見えるところ。絶望と希望のバランスが、あまりに「現実」すぎるので、どうしても共感して泣けてきてしまう。現実ってそうだ。毎日嫌で辛くて不安でしょうがないけど、たったひとつ何か希望があって、それだけで何とか、どうにか生きていけてる。
佐伯にとっては、幼い頃から仲良くしていて、夢を応援していた牧村が、輝かしいあのときのままで居てくれることが、ある種希望のひとつだっただろう。それを忘れたように堕落してしまう牧村に絶望し、また、そうして自分と違うところに行ってしまうことが、それを自分ではどうにもできないことが、とても寂しかったのだと思う。こういうことって、普通にあるし、あるから余計にまた感情移入して泣けてくる。
また、話の詳細は省くが、背景描写がつくづくよく出来ているのだ。
牧村、佐伯、如月の家庭環境がどういうものであったか、台詞やちょっとした背景描写からずっと暗に示されていて、これが単なる「女性が夢に敗れて堕落していった話」ではなく、経済的な格差や家庭環境により、人間が否応なく分断されてしまうということも描いている。如月は祖母が戦前の女学校を出ていて、祖父が医者をしていたような家の子で、佐伯はおそらく団地住まいの中流家庭、牧村は経済状況の詳細まではわからないにせよ、家庭内暴力があり、子どもが高校を中退し一人暮らしするのを止めないような(もしくは、そうでもして逃げざるを得ないような)家庭だ。それがちゃんと読み取れるように描いてある。
「愛すべき娘たち」が発行されたのは2003年だが、いまでこそ「毒親」や「教育格差」などと話題になっているテーマを、この頃からどこかしら社会にあるものとして物語に組み込んでいたのだと思うと、よしながふみってやっぱりとんでもない作家だなと思う。
またもうひとつ、これはほんとに些細なエピソードなのだが、最終話で、雪子の幼い頃の回想シーンがどうしても泣けてしまう。
雪子が幼い頃、ピンクの振袖をねだって買って貰ったけれど、着てみるといかり肩に太い首、ピンクも似合わず「自分でもびっくりするくらいみっともなかった」。がっかりして拗ねている雪子に、母は「雪子はとっても可愛いわよ 世界一可愛いお母さんのお姫様」と言って微笑み、雪子も嬉しそうに笑む。
そして大人になった雪子は回想しながら「不思議ね とってもうれしかった 振袖はやっぱりあたしに全然似合ってないのは分かってたのに」と語る。
わたしは父を早くに亡くして母子家庭で育って、かつ母親が親としてとても善良で愛情深く育てて貰ったので、こういう描写に共感してしまうのだ。
物語の重要な要素としてはまた別のエピソードがあるので、これはあくまで「どうして雪子の母がそうしたのか、雪子の母がその母にどう扱われていたのか」をこれから語るためのシーンではあるのだけど、最後に雪子と母の親子愛に帰結するための大事なシーンでもあると思う。
頭では家族を美化したり礼賛することは好ましくないと思っているのだが、感情や欲求の部分でわたしは家族愛を尊く思っているし、常に私の中に、そして周囲にもあってほしいものだと思ってしまう。
話は逸れたが、とにかくそうした細かいエピソードでも泣かせてくるし、ここに書いたもの以外にも、女性が読んだときに誰しも何かしら自分のことが描かれているように思える話が詰まった素晴らしい短編集なので、未読の方にはぜひ見ていただきたい。
やっと日記部分に入る。長々と好きなことを語ってすみません。
以下、4/13今日の日記をざっくりと。
土曜日なのでゆっくり起き、朝食には適当に余ってた食パンを使ってオープンサンドを作った。
奥に見えるのは昨日友だちがおつかいしてくれたフォカッチャだ。分厚いピザみたいだったけど。
午後、わたしは立川に551の豚まんを買いに行った。何も休日に出かけてまで…という感じはあるが、池袋や新宿に催事で551が来たら物凄い列になっておいそれとは買えないので、立川は狙い目なのである。ただ、立川でも一般整理券は14時過ぎには配布終了していた。わたしはエムアイカード会員の優先列を使わせて貰って買えたが、既に売り切れの商品もあり、もしかしたら立川が狙い目だということをみんな知ってしまっているのかも…。まずい。
ともかく目当てのものは大体購入でき、豚まんが香る紙袋を携えてほくほくと帰った。途中、配偶者からのおつかいの依頼があり、電車を乗り換えて以前よく利用していた調布の製麺所に寄る。普段は飲食店や給食用に製造販売をしているのだが、土曜の午後だけ一般販売を行っている。去年の夏まで調布に住んでいたので、日常的に利用していた。麺は言わずもがな、餃子の皮がモチモチで美味しいのだ。
そんなに頻繁に来れないし全部冷凍できるからと、調子に乗ってたくさん買ってしまった。551の紙袋も重いのに、更に荷物を増やしてしまいちょっと後悔しながら帰宅する。
途中、土筆の群生地を見つけて嬉しくなって写真を撮った。大荷物なのに。
小さい頃から春になると土筆を探して、見つけると嬉しくなる習性がある。というか、土筆に限らず自然の中で季節を感じることが好きなのだと思う。秋には菊や金木犀を見つけて嬉しくなるし、冬には霜柱を見つけて喜んでいる。なぜ嬉しいのかはわからない。あと夏の蝉はあんまり嬉しくない。
551の豚まんなどは夕飯にした。ちゃんとせいろで蒸すとより美味しい気がする。あまりに野菜が無いので、申し訳程度にズッキーニの冷菜を用意した。酒徒さんの「あたらしい家中華」に載っていたレシピだが、やっぱりこの本に載ってるものはどれも美味しい。
帰ってから夕飯までの間に、久しぶりにロールパンを作ったりしたのでその写真も一応。捏ねも発酵もホームベーカリー任せなので簡単なのだが、結構それっぽく、かつ美味しく仕上がるので時々作っている。
ちなみにこれを作る時いつも参考にしている動画はこちら。すごく丁寧でわかりやすいのでおすすめです。
パンを焼いたりお菓子を作ったりすると、なんだかいい休日を過ごしたような気がする。気のせいかもしれないが。
明日は配偶者の発案で早めに起きて横浜までコナンの映画を観に行くことになっているので、お風呂を済ませてすぐに寝床についた。