月狼症(テオシン欠乏症、ディステオシア)
Lunawolf Syndrome/Lycanthrope syndrome/Theosin Deficiency Syndrome
◆概要
月狼症(げつろうしょう)は哺乳類の肝臓で生成される「テオシン」という物質が作られなくなることで起こる慢性疾患である。
◆症状
進行度により、大きく分けて3つの症状が現れる。軽度では虹彩の色の変化、中度では日光(可視光線)への過敏症、重度では強い味覚障害や精神症状が見られる。全て体内のテオシンが減少することで引き起こされる症状である。
軽度での虹彩の変化は、元の虹彩の色や種族などに関わらず全て赤色に変化するというものである。個人差があり、深い赤色になる場合もあれば元の色の名残を残した赤系統の色に変化する場合もある。視力に影響はない。
中度での日光過敏症では、日光の当たった部位に湿疹が発生するほか、悪心・めまい・ふらつき・貧血・失神などが起こる。可視光線への反応のため、何らかの手段で日光を遮れば日中の活動もある程度可能になる。
重度においては体内のテオシンが極端に減少することで深刻な味覚障害に陥る。さらに進行すると各臓器の機能も徐々に低下していき、最終的に多臓器不全を起こす。
また必ずではないが、しばしば病的な妄想や気分の激しい変化といった精神的症状が現れる場合もある。これらの精神症状が現れる割合は重症患者のうち約20〜30%であるが、精神症状の出た患者は皆共通して「ヒトを食したい、食さねばならない」という飢餓感(食人衝動)に襲われる。
重度では肝臓のテオシン生成機能がほとんど失われている状態であるため、肝機能を回復させる薬物療法はほぼ効果がない。すなわち、他の哺乳類の血肉や分泌物などを用いてテオシンを体内に取り入れる必要がある。
◆原因
不明。少なくとも、細菌やウィルスといった何らかの病原体による感染症ではないため、伝染性はない。
遺伝性はないとされているが、患者の近親者にも月狼症に罹患する・または罹患した者が数%〜10%程度いるというデータもあり、発病に何らかの遺伝的因子が関与している可能性はある。
病名に「狼」がついているが、オオカミ族ないしカーニヴのみに発症する病気ではなく、オムニヴやハービヴに発症することは決して珍しくない。元々の食性もまた原因とは無関係な病気である。
発症年齢は10〜20歳が最も多いが、小児や高齢者など、どの世代にも発症の可能性がある。また男女差もない。
◆診断
血中のテオシン濃度の検査で行われる。健常者を100(85〜115)とした場合、軽度では60〜84、中度では15〜59、重度では14未満となる。(なお、作中時代であるレゾン歴1800年代にはその診断方法は確立していない。各症状を診て総合的に診断が下される。)
◆治療
肝臓から分泌されるテオシンが要となる。軽度から中度であれば完治する可能性の高い病である。
軽度から中度の場合、肝機能を回復しテオシンの生成を促す薬(レゾニウム)を一定期間飲み続けることが基本的な治療法となる。完治には数年かかる場合もあるが、中度までに適切な治療をおこなえば肝臓機能は十分回復可能である。
重度では、肝臓の機能のうちテオシンを作る力がほぼ完全に失われた状態となる。なおそれ以外の機能は維持されている場合が多い。テオシンの自己生成ができなくなった場合、レゾニウムも効果を示さなくなるため、定期的に外部からテオシンを取り入れる必要がある。治療法としては輸血、哺乳類の血肉および分泌物(母乳など)の経口摂取、そして肝臓移植がある。
テオシンは植物や爬虫類・鳥類・魚類等の生物には含まれず、哺乳類の肉体のみに含まれているため、重度の患者には哺乳類の血肉や分泌物が不可欠となる。
輸血や肝臓移植は適合さえしていれば有効な手段である。しかし適合者が見つかる可能性は極めて低く現実性に欠けるため、作中のレゾン歴1800年代においてはほとんどおこなわれていない。
テオシンそのもの及びレゾニウムに代わる薬はいまだ見つかっていない。
哺乳類の血液や体液などからテオシンのみを抽出する方法、もしくは人工的にテオシンや類似化合物を合成する方法が見つかれば、月狼症の治療も大きく前進するのかもしれない。
(この世界のヒト(ヘルメス)は現実における人類(ホモ・サピエンス)とは異なり、イヌやネコ・ウシやウサギなどさまざまな哺乳類が進化したものである。一種族あたりの個体数は現実の人類よりはるかに少ない。そのため、まず「他者の血肉を体内に入れる」という医術自体が非常に発展しにくいものとなっている。この世界でも輸血や臓器移植を試みようとした者は存在するが、感染症や拒絶反応・溶血などによるショックが起きる危険性が大変高く、成功例はほぼ存在しない。)
◆歴史・社会的側面
月狼症と思しき者が存在した記録は有史以前から存在した。遺跡や古文書等のほか、御伽噺や伝承の形でも世界各地でその存在が確認できる。
月狼に関する記述で特に有名なものは、レゾン教典の「罪人」の項である。知性や理性を最も尊いものだという思想を持つレゾン教は動物的なものを忌避する考え方があった。また古来より哺乳類は知性の象徴であり、そのため哺乳類を食することは禁忌とされてきた。
そのためレゾン教では「哺乳類(≒ヒト)」の血肉を食べなくては生きていくことができない月狼を「おぞましき獣返りの呪いを受けた者(リュコス/ガルー)」として扱っており、月狼症と思しき者を捉えて殺したり、「解呪」と称して誤った治療を強要したりといった記述が教典内にいくつも存在する。
レゾン教の信仰が篤くない地域であってもそのような考え方は珍しくないが、レゾン教の教えが深く根付いている地域ほど月狼症患者に対する差別的思考が強い傾向にある。
文化的にタブーとされてきた哺乳類の血肉を食べなければならないという事と、太陽の下で体調を崩してしまう事、そして虹彩の色の異常な変化の3点により、月狼症患者は長く「吸血鬼」「ヒト喰い」「呪われた罪人」などといった偏見の眼差しで見られていた。しかし早期に適切な治療をすれば根治可能であり、ヒトを食したいという衝動を抱くこともない。
お伽話の怪物とは違い、月狼症患者のほとんどは他の哺乳類と変わらぬ精神性を保っている「ヒト」なのである。
◆レゾン教の「解呪」(迷信的治療法)
月狼症に対する正しい知識が広まり始めたのはごく近年のこと(作中のレゾン歴1800年代)である。それまで月狼症の明確な治療法は見つかっておらず、疾患ではなく「呪い」として扱われてきた。
多くの月狼症患者は「解呪」と称した誤った治療を強要されてきた。例としては、瀉血・水銀の投与・日光浴・薬物(毒物)の点眼などが挙げられる。
瀉血は「月狼の血は呪いで腐敗しているため、体外に出せば浄化される」という考えに基づく。
水銀の投与もこれに近く、「銀は聖なる力を持つ」という考えから、液体の銀(水銀)を経口もしくは注射で体内に入れさせ、体内の悪しき呪いを消し去ろうという信仰によって生み出されたものである。言うまでもなく、銀と水銀は別の物質であるし、水銀はヒトに有毒である。
日光浴は一見安全な方法にも見えるが、効果はない。日光過敏症を起こしている中度以上の症状の月狼症患者の場合は、湿疹・悪心・めまい・ふらつき・貧血・失神などを引き起こしてしまう。
薬物(毒物)の点眼は、月狼症患者の瞳の赤色変化を抑制・改善するためにおこなわれてきた。多くの場合、ヒヨスと呼ばれる植物をすり潰して搾った液体を用いる。
ヒヨスは散瞳を起こす成分(トロパンアルカロイド)が含まれていることから広まったと推測される。
ヒヨスの搾り汁の他には、染色に使われる染料を用いて「元の瞳の色に塗り直す」といった方法も用いられていた。例えば金色の瞳だった者にはクチナシ、青い瞳だった者にはアイやクサギなどが利用される。
無論、これらの方法では瞳の色が塗り変わったり元に戻ったりすることはない。
◆民間伝承・言い伝え
「大きな乳飲み子(乳離れできぬ子)は悪魔に拐われる(衰弱死する)」という言い伝えは、この先天性月狼症の子どもを指したものと思われる。
※参考
ハンセン病、炎症性腸疾患、糖尿病、狂犬病、狼男、吸血鬼、宗教と異端(魔女裁判)、差別・差別用語、迷信全般、動物の輸血、リュカオン、ベナンダンテ(ベナンダンティ)