2月27日

zubora
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今日はスッキリ起きることのできた朝でした。

昨日少し触れた、『1分着手』を意識し1分できたらよしとすること、全部はやらなくていいこと。そして、もうひとつ「後でもできることを今やらない」ことを意識して過ごしてみたら、昨日の夕方以降、ほとんどいつもとルーチンが変わらなかったはずなのに、夜なぜか時間が空いたのです……!時間ができるから当然寝る時間を理想の時間にキープすることもでき、夜をゆったり過ごすこともでき、おかげで目覚めもよかった、というわけです。

これには本当に驚きでした…。しかも、普段とそう変わらない運動量・運動時間だったにもかかわらず、です。

今まで、自分に時間がないのは運動のしすぎだと思っていました。確かにやや歩数は減っていましたが、それでも1万歩は歩いているのでまだ減らしていいくらい。そこで、そういう手放しを実践すべく『タスクシュートクラウド100日チャレンジ』に参加してみたのですが、まさかこんな結果が一日目で現れるとは……。

わたしの場合、「後でできることを今やりすぎていた」のかもしれないんだな、と思っています。そして後でできることを今やることで「未来の自分が少しでも楽になるように、時間ができるように」と思っていたんですよね。でもそうじゃなかった。

後でいいことを今やることで、未来の自分には確かに時間ができていたかもしれない。でも、未来の自分が「今」になったとき、その「未来だった今」のわたしが、また別の未来の自分のために生きてしまう……。

そうではなく、「今ここの自分を生ききる」というマインドがなかったんだなということに気付かされたひと時でした。

「今何がしたいのか?」

「未来を生きないで、今ここに生きる」

これらの課題は、わたしの場合、毒親や長女病の根深さにあるのかな、と思っています。今何がしたいかわからないのは、ずっと親にしたいことをけなされ、否定されて、握りつぶされてきたから。未来を生きてしまうのは、今の気持ちに寄り添って生きると、親から気分屋だとか態度が一貫していないと怒られるから……。親のために生きるのはやめようと思ったのに、まだまだ無意識のうちに機嫌伺いをしている自分がいる…。哀しいけれど、一朝一夕にどうなるものではないのも事実。今は、まだそういう自分がいるんだなあということを受け止めようと思います。

それにしても、自分の好きなように振る舞って、それが誰かに迷惑をかけているのなら反省しますが、そうではないことを「今日は早かった」「今日は遅かった」というのはどうなんでしょうね……笑 ロボットじゃないんだから、体調も気分も日々変わるのが当たり前なはず。そう思えば、決して「今日は疲れたからいつもはこうするけど、今日はこっちをやろう」と思うことは変なことではないのですよね。むしろそれが普通で自然体なはずなんです。

そしてそれこそがjMatsuzakiさんの仰る

「ルーチンは毎日変わっていい」

の、真髄なのかもしれません。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。