3月14日

zubora
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手放してしまったら二度と戻らないことで、それが努力して積み重ねてきた自分の過去だったり実績だったりして、でももう今の自分にはあっていないこともわかっていて手放したほうがずっといいのだ、ということを理解していても、それでも何度も何度も悩んでやっぱり手放せなくて、でも手放さないと前に進めないしなって、東京スカイツリー634mの天望回廊から飛び降りるつもりで思い切って手放してみたときほど、

「手放したけど思ってたんと違った、そんなでもなかった」

って思うことは多い気がするのです。

でも、そういうことって人から聞くと「あるあるだよね~~」って笑ったり共感もできるけれど、いざそれが手元のカードに回ってくるとやっぱり手放せなくて同じところで悩んだり困ったりして「ねえどうすればいい?」ってセルフダンジョンを作って迷子になったりするのもまた「あるあるだよね~~」って思ったり。

わたしは「習慣」を身につけるより「手放す」ほうがずっとずっと難しいと思っていて、習慣は得る(言い換えるなら:プラス、蓄え、積み重ねなどなど)ものだけれど「手放す」ことは失う(マイナス、自分から無くすなどなど)ことで、たぶん生きる物として(生物学的にだと主語がデカくなりそう)周りの同種族より”より多く”持っておくことは生存競争の勝ち抜きに有利だったんじゃなんじゃないかな、って。

今はそんなことないし、むしろ持ちすぎていることで圧倒的不利に立っているケースもあるわけで、だからこそ「断捨離」が流行ったんじゃないかと思うし、そうしたほうがいいことも(心当たりがある人は)頭脳もしくは知識的にわかってはいるのだと思う。けど、本能的に「これがなくなったら死ぬかもしれんぞ」っていう、何某かのブレーキが勝手にかかっちゃうから「手放す」ことに難しさを感じるんじゃないかな、というのが今のわたしの考えだったりします。

でも実際に手放してみると、

「あれ?意外となくてもなんとかなるんじゃん?」

となるのも往々にしてあるわけであって……。

どうにかして、この「なくても大丈夫問題」を血肉にしたいけど、血肉にするために捨てて手放す、という半永久的迷路からまず脱出したいと思うのです。ちなみに脱出ゲームとか絶対苦手なタイプだと思う、わたしは。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。