4月22日

zubora
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やっぱり「休む」と「怠ける」の違いがわからなくてぐるぐるする。

わたしにとっての休むの理想ってなんだ、

わたしにとっての怠けるの現実ってなんだ。

まず怠ける方から行ってみようか、怠ける・怠けていると思うときはどんなときだろう。

気付いたらSNSやって1時間近く経っていたとき。SNSじゃなくてもスマホいじりしてるとき。でもゲームをしているときは、怠けるって感じじゃなくて休むに近いかも。好きなことだからかな。Kindleを読むとか青空文庫を読むこともそうだし。目的がなく、時間を潰しているときは怠けているのか。目的があれば、休むなのか。でも例えば、おやつを食べるとして、味わって食べてなくて無意識に食べてたときは怠ける感覚に陥るけど、美味しいお茶にちゃんと器(それが100均のプラスチックや紙皿であっても)に盛ってその時間を味わっていたら、休む。

もしかして、休むのハードルが高いんでは?

休む、の理想って、きれいに片付いたテーブルの上で、それこそトレイにお茶とおやつ乗せて、本を読みながらブランケットに包まってみたいな、そういう写真でしか見たことないような「休み方」を休むだと思ってるフシは確かにある。でもそんなことしてる人いる!?とも思うし、やっぱり休むときっておふとん(ベッド)の上で、まあお茶もお菓子もあっていいでしょう、でもちょっとごろごろするのがだいたいの現実じゃなかろうか。

あとは環境のせいにもしていそう。休む、ということ(特に仮眠を取ったりゲームしているとか)を母に「ダラダラしてる、自分だって休みたいのに」と現在進行系で言われることが苦痛で休むことを諦めているとか。わたし自身も、母があちこち散らかしたり共同で使うところの片付けをしていなくて、でも仮眠したりだらだらパソコンでゲームしているのを見て、「ダラダラする時間があるなら片付けてよ」って言うのと同じかもしれないなあ…。わたしだけが言われてるんじゃなくて、わたしも言ってるんだ。

とはいえ、今の自分には休む必要があるし、それが仮眠であれ何であれ手を抜くというかズボラになるというか、そうした方が良いことはわかっているけど、やっぱり休むことへの罪悪感が抜けないし、休むことができないからへとへとになるまでがんばって、燃え尽きて怠ける、ってことになってしまう悪循環が起こってるのも理解はしている。

だからその、無限ループだけど、どうしたら、どういう状態を過ごせたら、休む・休んだ・リフレッシュできた、になるかってことだよね。

好きなことをすることはリフレッシュだけれど、どこかでタスク化しているから「できたタスク」カウントになっちゃって「休みました」とはちょっと違ってしまう。さっき書いた、まさに絵に書いた休みは肩肘張っててたぶん理想だけど疲れると思う。

いつだったか、ヒュッゲクローウ作りをしていたことがあるけど、頓挫しちゃったのはちょっと狭すぎた……笑 自室には出窓があって、そこのカウンタースペースにラグとかマット敷いて、クッション置いて、キャンドルの灯りでホットミルクを飲みながら本を読む、のんびり育成系なゲームする(あつ森みたいな)って理想を描いてたわけですよ、そしたら出窓のカウンターからちょっとばかしSiriがはみ出ちゃうもんで、、まあ出窓だからそうなんだけど、文字通りに座りが悪かったわけですよ……。でもベッドの上だとちょっとまた違う。

ウォークインクロゼット兼倉庫になってる場所にはもっと広めの棚的スペースがあるにはあるけど、倉庫なのでいかんせんモノが、、片付けろってことですけどね、はいすみません。

話がそれちゃったけど、結局なんだろう…休むことも形から入りたいのかわたしは。いや形から入るタイプだけど。スポーツとかする時にウェアとかアイテムからこだわって揃えるタイプだけど。

休む、をもっとフランクに、もっと自由に、納得しながら休むことってできる日がくるのかな……いや来ないと困る。来い。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。