4月8日

zubora
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朝、歯磨きをしながら「あれ、ここに書いて思考をまとめたいな」と思っていたことがあったはずなんですが、うん、忘れましたね……こういうときにぱっとメモできればいいのですが、歯磨きの場合声が出せないので音声メモは使えないし、じゃあフリックで、というと手が濡れているし、そういう時に限って洗面所には紙のメモは置いてないし。次から紙メモも置いておこうかな。思い出したら、また書きにこよう。と思ったら思い出した、余計なひと言の話だ。

で、今それを忘れてたから書こうとしたことは、お恥ずかしいのかお恥ずかしがらなくていいことなのかわかりませんが『アルバイト』に初めて応募したっていう話。これこそまた今度書こう、ネタが増えたと思えばよいのであります。

さてさて、今回わたしが思う余計なひと言とは、余計なお世話とか+αの嫌味、みたいなものではなくて、その情報は提供しなくていいよね、というタイプのひと言。

わかりやすい例のひとつが自虐ネタで、わたしはずっと「ぽんこつ」を売りにしていて、でも今でもぽんこつでありつづけることは忘れたくはないのですが(その話も長くなるからまた今度、これでネタ2つ)、ぽんこつだから寝坊しました!とか、この間は今日は完徹です!ってネタにしたんですが、わたしの中ではただの自虐だし笑いのネタにして頂ければという気持ちでいても、受け取り手がそう思うかどうかは別だなっていう。だって、周りの友人知人が完徹してます!って言ったら心配になるでしょうよ、ねえ。あとそういうひと言が「かまってちゃん」の片鱗だってことに自覚がないのも問題、とか。

自虐にもそういう「かまってちゃんだからそれ言わなくてもいいのに」っていうものと、もうひとつこれはだめだなって反省したのは、すごくわたしのことを褒めて認めてくださるメンターの方が、ここ最近のわたしの行動に対して「ずぼらちゃんが咲かせる花はどんな花かなあ、たのしみだなあ」って言ってくださったのに対して、わたくしめは「そうですねえ、ラフレシアかもしれませんね!笑」って言っちゃったんですよね。あとから考えたら、その方は大変なこともあったけれど、未来にはきっときれいな花が咲くんだよって言いたかった(と思いたい)と思うのに、わたしはそれを茶化してしまった。茶化すってことは、相手からの褒めの受け取り拒否なんですよ。真正面からありがとうといってなくて、プレゼントしてくれたものを受け流してるのと同じ。同時に「ラフレシアなんて、そんなことはないよ!」と言ってほしかったのだろう、要はかまってほしかったのですよ。

今日のメモ書きで、褒められたことは?っていうタイトルを書いた時に、褒められたっけ?って思っちゃった。それは、今まで自虐ネタやそれ言わなくていいことだよね、っていうことをいうことで、周りからのGIVEを無意識に受け取り拒否してきたからなのでは?ということに、ちょっとだけ気づきました。

これまでは自虐ネタで笑ってくれる人がいて、笑ってくれるから嬉しかったけれど、誰かの自虐を笑う人は見極めないと「この人は下に見てもいい人」認定されて、そういう人を引き寄せるきっかけになるんだろう。実際、下に見られてぞんざいに扱われてきたことでメンタル崩壊したわけで、自虐で自分をすり減らしてたってことなんだろう。そして、自虐ネタを披露することで笑いを取るつもりでいても、それが相手にとっては「そんなことないよ、大丈夫だよ、って言ってほしいんでしょ?」っていうかまってちゃん言動として捉えられることもある、ということなんだろう。

自虐ネタって「それあるある、わかる~!笑」っていう、つながりや感覚の共有ができてより親密になれる可能性も面もある一方で、そのひと言ほんとうに伝えたいことなの?それで相手が引いちゃうこともあるんだよ?という面もある、ということをしっかり覚えておきたいなと思った一件でございましたよ。

ことばに責任を持つ、って、難しいねえ。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。