4月5日

zubora
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ネガティブな人はポジティブな言葉がつかえない問題。

といって、わかるような気もするし、でもそれに甘えてちゃいけないとも思うし。

引き寄せってスピってて敬遠したいのもわかるけど、でもやっぱり引き寄せるって『類は友を呼ぶ』っていうくらいだからやっぱりなんか同じ部類の人は同じ部類の人が集まるんだなっていうのはなんとなく思う。

で。冒頭のネガティブな人はポジティブな言葉がつかえない問題、わたしは基本が絶賛ネガティブだから、「どうせ」「でも」「だって」は三種の神器、「わたしなんて」を加えればもはや最強四天王なスタイルだけど、じゃあといってそういう言葉ばかり使っていて今日もはっぴーるんるんでいられるかっっていうと絶対難しいと思う、絶対にだ。

でもポジティブ言葉を無理やり使おうとすると嘘くさいとか、自分の気持に嘘をついている!ってなるし、そこはすごく葛藤なんだけど、この際、このポジティブ言葉についてだけは、自分に嘘をついていいものとする!と思っていたほうがいいのかもしれない。

『しあわせな嘘』という言葉がある。いや辞書にはないけど、創作界隈……と言おうとしたけどそこだけじゃないかもしれないけど、まあとにかく、相手を幸せにするための儚い嘘のことだ。相手を慮って吐く嘘と言ってもいいと思う。この『しあわせな嘘』、基本は自分ではない周りの人に対して使うものだけれど、ポジティブ言葉を使うことに関しては『自分に向けての、しあわせな嘘』だと思ってみるのもいいのかもしれない。

「自分を幸せにするために、わたしはわたしに嘘を付くのよ。それでわたしという人がしあわせになってくれれば、それでいいじゃない」

そう思っておけば、多少ネガティブな罪の意識も柔らごうというものではないかしら。

もちろん、ネガティブな気持ちをガン無視するのではない。それはまた別。だってネガティブな気持ちは本当だもの。ポジティブ言葉を自分に使うことは、『しあわせな』という形容動詞がついているとはいえ『嘘』なんだもの。ネガティブな気持ちはあっていいし、それは無視しないでほしい。無視すればネガティブはわたしに気付いてもらおうとしてもっと増殖するし、もっと強くなる、と思う。もう一度言う。ネガティブな気持ちはあっていい。

ネガティブな気持ちのときにポジティブ言葉がつかえない問題は、ネガティブな自分の気持ちを無視している気がするから使えないだけで、でもネガティブ自分の気持もそうだねーって受け入れつつも、自分に向かって「でもありがたいねー」と嘘を吐く。それでいいんだろうと思う。ひとまずは。

そのうち、いろんなことが変わっていって、心から「ありがたいねー」って言えるようになれば儲けもんだし、自分ではなかなかそう思えなかったとしても、もしつらいときでもありがたいなあって言う人が周りにいたとしたら、わたしは「あの人、大変なときでもありがたいって言っててすごいなあ」と尊敬するだろう。そういうときに、周りからすっと手が差し伸べられたりするもんじゃないかしらと思う。その手を取るか振り払うかはまた別問題だけども、そうやっていろんなことは好転していくんじゃないかしら。

あらためて、我が「どうせ」「でも」「だって」「わたしなんて」のネガティブ言葉四天王にはご退位頂いて、新たにポジティブ言葉四天王を就任させてその地位を確固たるものにしていこうと思う。

どうやるか? ……そうね、とりあえずはったりでいいんじゃない?

最初は嘘、だもんね。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。