2月24日

zubora
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寒い朝です。こういう日は、温かいコーヒーが本当に美味しい…。

今、とても困っていること、悩んでいることがあります。それはマグカップやステンレスボトル、ガラスのコップなど、普段使う飲み物用の器が、あまりにも多いこと……。

朝は寒いので、コーヒーメーカーでドリップしたコーヒーをステンレスボトルに入れて、午前中の間あたたかい状態で飲みたい。

お昼にはご飯を食べるためのお茶を入れたいので、これまたステンレスマグを使っていて、これは夕食のお茶、夜の作業をする間の白湯を飲むまでずっと使う。そしてガラスのコップは炭酸水が飲みたいな…とか梅の花のシロップを作ったので、ちょっと甘いものが飲みたいときにちょこちょこ使う。そしてお散歩用にポケットに入る小さめのステンレスボトルと、プロテインのためのシェイカー。

これだけで、一日に使う飲み物のための器が5つ……(涙)

本当はもっとシンプルに、もっと持たない暮らしをしたい、などといいながら減らせずにいる。しかもこれらとは別に、控えにいるお気に入りのマグカップ類が最低でも3つ以上。マグカップはがんばって減らせるかもしれないけれど、どれもまだ捨てる気がさらさらないので、もうしばらくカップ類はこのままになりそうです。(……そういう心構えがもうだめでは?とつっこむ自分もいるのがもう……!)

手放す、ということがすごく苦手なのに気づいたのは最近です。

物が手放せないのはよくあることですが、タスクが手放せない、考えの癖が手放せない……習慣にしたことのうち、いいことほど手放せなくなる。わたしはわたしをだめな人間だと思っているので、いい習慣を手放すと怠ける、と思っているんですね。でも、反対に手放すことで本当にやりたいことに向かう時間ができるのも、風通しがよくなるのもわかっているのです。

わたしの場合、手放せない、ストックしてしまう原因は、自分の中の持ってないことへのフォーカスや、自分への不安(不信といってもいいかもしれません)が原因なんだろうな、と思っています。

例えばいつか使う紙袋。いつかって、いつ? だし、そもそも使ったことあった笑? と思うと手放して困ることはないはずなのですが、自分の中にある「自分はなにも持っていない人間なのだ」という自己肯定感(自己肯定感ではなく、自己有用感だったり、自己受容感だったりするのかもしれません)が、あまりにも低いことが原因の根っこにあるような気がします。

もうひとつは、あるものに目が向けられないこと。あるものへの感謝と言ってもいいと思います。これだけ物があるのに、足りない、や、もっと欲しいと思ってしまうのは、今あるものが手元にあることに意識が向いていない証拠。思い返してみれば、この人の暮らしや生活が素敵だなあ、いいなあ、と思う人たちの共通点は、物に対して古いとか不便などのネガティブを二の次にして、今あるもので使えるから十分、という佇まいで生きていらっしゃること。「これで十分」の生き方なんですよね。その上で、これは譲れない、と思うことにはきっぱりと古いものを手放し、必要なものを手に入れていらっしゃるのです。

持っていなくたって、わたしは大丈夫。

持っていなくたって、あるものでなんとかなる。

まずはそう思えるようになることが、手放すことへの一歩なんじゃないかな、というのがここ数ヶ月のわたしが思うことです。

ミニマルな生活への道のりはとてつもなく遠いけれど、少しずつ近づけるように、今日も小さな断捨離をしようかな、とマステの山を見ながら考えています。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。