2月23日

zubora
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今日は嬉しかったり落ち込んだりが交互にきているようで、ちょっと落ち着かない朝を過ごしています。満月が近いから心のなかに感情が満ちているのだな、と思うことにしたいのですが、揺らいじゃうこともありますよねえ…。

嬉しかったことは、朝散歩で会う"お姉様"から、再びおすそ分けを頂いたこと。しかもディズニーの小さなジップバッグに入れてくださって!あるもので包んでくれたのだとは思いますが、少しでもかわいくなるように、とこれを選んでくれたんだろうか…? なんて思うと、その気遣いがすごく嬉しくて。

でも、困ったことにそこでうまく「ありがとう」と表現できなかったのです。わたしの悪いくせで、嬉しいことやってもらったことがあると、感謝はしているのだけど「ありがとう」を伝え損なったり、ウェットにあんまりぺこぺこしても申し訳ないなと思うあまりに逆にさらっと伝えすぎて「本当に感謝してるの?」というような態度になってしまったり…。

わたしは小さい頃、人に手を差し伸べると親から「そんなことしなくていい」とよく言われたものでした。そして誰かから「これあげる」と言われると、「借りを作ることになるんだから、もらいなさんな」「くれる人は下心のある人だ」と……。子供の頃は親の言うことが正しいと思っていたからその通りにしてきましたが、おかげさまで嬉しいことやありがたいことを「差し伸べる」「受け取る」ということがとても苦手になってしまった気がします。

なので、本当に上手に、へりくだるわけでもなくドライすぎることもなく、丁寧にさらっと「ありがとう」を伝えられる人って、本当にすごいなと思います。受け取り上手っていうか、嬉しいということに素直にいられることが、とてもうらやましいのです。

今でこそ、誰かに何かをすることも、誰かから何かをもらうことも、その全てが下心からではないし、ましてや決して貸し借りするものでもない、というのはわかっていますが、染み付いたものが抜けるにはまだまだ時間がかかりそうです。これもまた日々、こどもの頃に自転車にひとりで乗れるように練習したように、地道に練習していければいいなと思います。

ここまで書いていても、まだ揺らぐ心にどうしたらいいの…となっていますが、どうせ揺れるなら起き上がりこぼしみたいに最後はすっくと立っていたいし、今日は少しのんびりしながら過ごそうかな……。

でも、ここにとりとめもなく書くことがちょっと癒しになっているので、また書きに来るのもいいのかな、と思ったらすこしだけわくわくが戻ってきた気がします。

@zubora
『生きる is 何』を永遠の問いに、うつとともに生きています。自分のことは自分が一番わかっていないことに絶対的自信がある。Everyday&Always、沼人(ぬまんちゅ)。