今日はこんな本を読んだ。
ブッダや親鸞の教えを超要約して、伝わりやすい表現(オモコロっぽいノリ)で紹介している本。東京J大学の名誉理事の方が監修されていたので読んでみたけど、面白かった。最後の方は若干内容が薄くなってくるのでそこまでの読み応えはないけど、なかなか良い本でした。
著者は、東大卒業後に大手企業に入社したものの、仕事出来なさ過ぎて引きこもりになり、離婚も経験…という経歴の持ち主。自分を「すごい人」ぽく見せる才能があったばかりに、中身からっぽのまま社会人になっただけあって、著者の世界を通した「空」の表現に説得力がある。
自分が「からっぽ」ということを認めた時、世界が輝いて、からっぽだからこそ、自然が自分に入りこんでくるのがわかったと表現しているんだけど、知識で理解したんじゃなくて、その状態を体感したってことが伝わってきた。
なんかこういう、「これか!」という感覚って、実際に自分が体得するしかないよね。理解しようとするのをやめた時に理解する。みたいなやつ。でもこれって、「理解しよう」とする働きがあって初めて顕れる境地な気もするんだよね。どうなんでしょうね。