昨日、会社を出るのが少し遅くなり、駅までの道を急ぎ足で歩いていた。会社から駅まではほぼ一本道で、駅に向かうごとに歩道の幅が広くなっていくので歩きやすい。でも昨日は、というか最近は、複数人で横に広がって歩いている外国人観光客が多く、先を急ぐ私は、辺りを見回しながらゆっくりと歩く彼らに若干イラついていた。
この手のイラつきは、立場を変えて考えてみたり、今私は余裕がないからイラついてるんだな?と自分の状況を静観すれば消失するので、そういうモードに切り替えながら歩いていたんだけど、昨日はそのタイミングで「失われたとき、与えられていたことに気付く」的な思考がバッと入ってきて。言葉として整理されてる状態ではなく言葉になる前の感覚?として入ってきたので、その感覚を言葉にしたら上に書いた意味になったんだけど。
今のオフィスに移って5年。週5で歩いてきた通勤路だけど、スムーズに歩けている間、「遮られることなく歩けてありがたいなぁ」だなんて考えたことはなかった。もちろん「失ってはじめて気付く」は、今までにも経験してきているし、気付くたび「そうだった。与えられていることに感謝しよう」と思いなおしている。それを知っているはずなのに、当たり前に享受しまくっている自分に気付いた。相当意識して生活していないと「当たり前」として処理してしまうものだと再確認したというか。いやこりゃ普通にしてたら気付かんわ!てことに気付いた。
不快感や苦悩はそれに気付くためのセンサーになってる。私たちは何度か「好き」はセンサーだよねという話をしてきたけど、苦悩も、感謝=愛へ向かうセンサーというこのシステム…好き。とか思った(雑なまとめ)
枢要徳(知恵、力、正義、節制)の一つである節制。異なる二つのものを過不足なく混ぜ合わせ、金をつくる錬金術の過程をあらわしている。天使の額のマークにも太陽☉=金が描かれ、足元に咲くアヤメの花は、虹の女神アイリス(イーリス)を象徴している。イーリスは天と地、神と人を繋ぐ女神であったことから、このカードには変容(の過程)や繋がり、絆などの意味がある。
節制は、9イェソド☽と6ティファレト☉を結ぶパス。9イェソドの自動的に発動する無意識のパターンから、6ティファレトの調和に向かうために必要なプロセスが節制であるということ。
葛藤は、相反する二つの感情が自分の中で統合されていないから起きるけど、異なる二つのモノを混ぜ合わせるために、一つ上の次元に進むのが鍵ということ。
今日の日記は、「節制」に象徴される二項対立の統合の話でもあるかなと思ったので書いてみた。タロットおもしろいね。