私の言語感覚を好みだと言ってくれてありがとう。私自身はそう思えないけど…なぜなら、自分の思い描くイメージを言葉という枠におさめられている気がしないから笑
でも、何回か友達を占ってみて思ったことだけど、まずその人のネイタルや、展開されたカードを見ている時に、(うまく表現できないが)愛を見せてもらえている感覚がある。みんなそれぞれ、今この瞬間も、祝福されているんだなぁって、証明してもらっている感じ。
それを取りこぼさずに伝えるために、言葉を豊かにしたいと思うようになった。幸い私の周りには、その人独自の言葉を持っている人たちが多いので、勉強させてもらっている。私にとってあなたは、一番美しい言葉を持っている人だから、今もこうして言葉のやり取りをさせてもらえて幸せ。
それでも、私がすきなのは言葉になる前のあなたの響きなんだけどね。
デリカシーのない人は、身体の状態が散らばっていると言ってたけど、それって内観をする習慣(というかその必要性)がないからだと思う。ストレスを感じた時に、身体へのフィードバックもそこそこに、すぐ外に放出することに慣れている。から、自己のストレスに対する解像度が低くなり、結果的に他者の感じているストレスにも関心が薄くなる。ストレスを放出して許される環境にあるというのは健全な環境で心が育まれてきた証拠でもあるので、基本的にコミュ力が高いし、自分が主導権を握れる関係性を構築するのは得意なので、周囲の人からは「面倒見がいい」という評価になることも多いよね。ぜんぶ元夫の話だけど笑
まぁ、デリカシーのなさにも色々なパターンがあれど、共通しているのは身体へのフィードバックをおろそかにしがちってことか。そういう諸々の空気感が、その人の響きにあらわれてくるんだ。おもしろいね。