Negative capability

Juri
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数日前「幼稚園くらいの女の子が、重度自閉症の息子をガン見してきてイラっとしたから睨み返してしまった」という投稿をTwitterで見かけた。荒れそうな話題だと思ったけど、リプ欄は、そういった視線に傷付きつつも乗り越えてきた母親からの励ましコメントや、自分の子供がガン見してしまう場合はどうすれば失礼にならないですか?的なコメントがついてて、思いのほか優しい世界だった。引用では辛辣な言葉が多かったけど。

その投稿をした母親本人によると、子どもが凝視してしまう時はさりげなく気をそらして欲しいと。幼稚園くらいの女の子の場合は、ご両親がその子を見ていない状態だったんだそう。

私は凝視するタイプの子どもだったし、あの人なんで違うの?とか言っちゃってよく親に怒られた。怒られる理由もわからないままだから「見ちゃいけないもの」として学んでしまったけど、凝視してしまうよりも見ないふりをする方が差別感情の温床になりそうな気もする。差別感情の取り扱い方を教えてもらう機会がない中で、その場しのぎの対処法だけを身につけていくことは、本質的な課題を見ないふりしてやり過ごすパターンの獲得につながっているような気もする。

事実、私が「幼稚園の女の子の親側」になった時に正しい振る舞いができるかと言えばできないだろうし、「重度自閉症の息子の親側」の視点を想像してみようにも、全然リアルじゃない。

自分は、「無自覚に誰かを傷付けてしまう存在だ」ということには自覚的でいたい。

こういう話題って誰が悪いとか、どうすべきだとか、本来なら簡単には言えないと思う。問題が複雑に入り組んでいるから安直に答えを出すことはできない。個人ではどうしようもない社会のシステムも絡んでくるだろうし、仮に社会のシステムが解決したとしても、個人の在り様に対して正論ぶって意見したところで何も解決しない。だからといって無関心でいていい話でもない。

その投稿に集まってくる様々な意見や感想を見て、当事者が普段周りに漏らさない本音が可視化されることには意義があるんだよな…と思いながら、答えが出ないことを問題として捉え続けるための力について考えていた。

突然なんだこの画像はと思われるでしょうが、ネガティブ・ケイパビリティという言葉を生んだジョン・キーツの伝記映画の一場面、キーツ演じるベン・ウィショーと猫の戯れが可愛すぎる隠れた名シーンです。キーツと聞けばこのシーンが脳裏に浮かぶ私です。

これからカレー食べます。

@zuri_chan
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