傷付きやすく繊細な自分、その自分を厳しくとも愛を持って見守る自分、細かいこと気にせず突っ込んでいく自分、それらの自分達の間にも、相容れない関係もあれば、真逆な性質だけど協力し合える関係もある。その自分達全員の話を聞くマネージャーみたいな自分もいて、マネージャーレベルにもそれぞれの関係性があって、さらに上の役員クラスもあって…みたいな構造だよね。自分の中の自分達。
様々な自分がいるとはいえ、日本人らしさ、アメリカ人らしさのような国ごとの気質あるように、自分国の人達にもなんとなくの基本的な性質があったりする。だから、その中であまりにも性質が違いすぎる存在は、避けられたり、いないことにされたりして、自分の中にも差別構造があることに気付く。
マジョリティ側にいる時は、どんなに気をつけていても、マイノリティ側を無自覚に傷付けてしまう。傷付けるつもりがなかったとしても、傷付けていたことには変わりがない。その自覚の元でなお、知ろうとすること、理解しようとすること、実際に行動すること、他でもない自分に対して、それを諦めたくはない。
私が心理相談室の門を叩いたのは、そういう理由。