高校1年のとき俺は何もしたくなかったが、いつか普通の生活をしなければならないときが来るんだろうなとは思っていた。しかし自分が労働に適正があるとは思えず、しかも就職活動というのはとても辛いことらしい、ということをなんとなく知っていた。ので、とりあえず大学にいくことにした。
何にも興味がなかったので、受験勉強をしなくても良い大学の中で一番就職がよさそうな理系の単科大学(偏差値が低い)に行くことにした。なぜなら就職活動で苦労をしたくなかったからだ。で、行った。
行ったら何か興味が持てるものが見つかるかなとちょっとは思ってたんだけど、特にそういうことはなかった。まじで一つも興味がないまま授業を受けていたので2回留年した。何にも興味がなかったので就職活動もほとんどしなかった。やりたくないことをやりたい感じで話すのがなんとなく苦手だったからだ。あと実家がまあまあ金あったのでまあなんとかなるだろうという気持ちもあった。
卒論を出さないと卒業できないシステムだったので研究室に入ったんだけど、興味がないどころか意味もわからないまま研究的なことをしていた。研究と呼べるのかというと、呼べないと思うが。研究室では水を流し続けるマシンがあって、何を計測しているのかわからない機械で流れる水の何かを計測した。その機械に表示されるなんだかわからない数字を手でプロットし続ける、というのが私の研究であった。
これがまじで面倒くさかった。ただでさえ面倒くさいのに、自分が何をしているのかわからないからだ。小説に出てくるひたすら穴を掘り続ける刑罰のようだった。
この作業には待機時間が結構あった。水を一定時間流す必要があるからだ。その間暇だったので大学に転がっているパソコンで動画を見たりして遊んでいたんだけど、ある日パソコンに入っているエクセルファイルを見つけてなんとなく開いた。
これが素晴らしかった。
数字を紙にプロットするかわりにエクセルファイルに結果を打ち込みボタンを押すと、自動で必要なグラフが表示されるのだ。数字を読んで紙にプロットして線をつなぐ、というめんどくさい作業がエクセルに数字を入力するだけで完結するのだ。しかし表示されるグラフがなんとなく俺が手で書いているそれと違っていた。
違っていて問題があるのかどうか俺には理解できなかったが・・・。なんとなくまずい気がしたので、俺はエクセルにもっとそれっぽいグラフを表示させたくなった。
で、そのエクセルファイルがどうなっているのか調べてみると、どうやら VBA という機能でグラフを生成しているようだった。どうやら俺には多少プログラミングの適正があったようで、VBA のコードを眺めているとそれが何をしているのか多少理解できるようになった。コードにはエクセルを操作する命令がたくさん書いてあって、それが実行されているのだ。
ちょっと調べたら段階的にプログラムを実行し結果を眺めることが出来るとあったので、試してみた。どうやら上から下に向かって書いた命令動いている。上から下に向かって、書いたプログラムが実行されている。
プログラミング、わかるのでは?と思った。
そのままステップ実行を続けると、上から下に向かって進まないことがあることに気づいた。なんか上に戻るタイミングがあるな・・・。なんとなくループの概念を理解した。
このあたりの体験は衝撃的であった。俺は世界や仕事における決定は全体的に誰かの気持ちによってなされると思っていた。なぜなら周りの人間がみんなそうだったからだ。
いつも物事は正しさではなくみんなの気持ちよさによって決定される。俺はそれをいつも気持ち悪いと思っていたが、それは仕方のないことなのだと思っていた。しかしそうではない世界がそこにあった。そこでは正しさだけが正しさなのだ。書いてあるコードが書いてあるコードの通り動く。
このような世界がある、ということは個人的にかなり衝撃的であった。まあ理系大学だから他の授業だって真面目に受けてればそうだったんだろうけど・・・。
そしてプログラミングが自分の仕事になったあと、コンピューターの仕事だって多くの場合みんなの気持ちよさによって物事が決定されるということを知るんだけど・・・。
目的意識もやる気も全然なかったし、授業だって全然真面目に聞いてなかったけど、それはそうとして俺は大学に行ってよかった。というパターンがある、という。
敬具