マネージャーの仕事は一体何なのか

zy
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マネージャーの仕事はなんだろうか。

マネージャーにも様々な種類がいる。ボードメンバーをマネジメントレイヤーと呼ぶことがあるし、中間管理職をマネジメントレイヤーと呼ぶこともある。ここでは、一般的に議論になりえる中間管理職のマネジメントレイヤー、エンジニアで言えばいわゆるエンジニアリングマネージャーというポジションについて考察し、ボードメンバーについては除外する。

おそらく多くの人は「働いているメンバーにパフォーマンスを発揮してもらう」ということを想像するだろう。

では ”なぜ” 働いているメンバーにパフォーマンスを発揮してもらわなければいけないのか。

このような問いについて深く言及している記事は少ない。「そんなことはない。たくさんある」という声が聞こえる。

しかし、大半の記事はメンバーからマネージャーへ昇進した結果、メンバーのときに思い描いたマネージャー像を引きずっている記事が多いのだ。

つまり、これはただの経験則や理想(としたい)マネージャー像で留まっているように見られるし、そういった意味で深く言及している記事は少ない、と書いている。

もちろんこれらの記事を批評しているわけではない。理想としたいマネージャー像は誰しもが描くものであり、そして相手にも求めようとするものである。

会社側の期待値が不明瞭なままマネージャーという職種に昇進する者も少なくない。

ゆえに、多くのマネージャーがマネジメントに悩み何をすればよいか常に模索をしている。

その中で見つけ出した共通項が「働いているメンバーにパフォーマンスを発揮してもらう(もしくは環境を作る)」ということだろう。

では改めて問うてみよう。 なぜマネージャーは、働いているメンバーにパフォーマンスを発揮してもらわなければならないのか。

「事業のトップラインとボトムラインを最大化するため」これに尽きる。より詳しく書けばエクイティストーリーを忠実に実現するためである。

つまり、我々マネージャーはこのエクイティストーリーを忠実に実現するためにある一定程度の裁量権を任され、業務を担うことを期待されているのだ。

その裁量権の中に評価などの人事権などが含まれ、メンバーに対して指示を使用者(会社)の代わりに行うことができるわけである。

より端的にいえばヒューマンリソースの最適化というのがマネージャーの大きな職務の一つである。

ゆえに「パフォーマンスを発揮してもらう」というのはヒューマンリソースを最適化するための一つの手段に過ぎない。

ドライに言ってしまえば、最初の問いである「働いているメンバーにパフォーマンスを発揮してもらう」のはエクイティストーリーさえ忠実に実現できれば、不要なのである。しかしそれでは事業運営は不可能であるから、それを効率よく行えるようにする目的としてヒューマンリソースの最適化が存在するのである。

マネージャーの仕事は「管理ではない」と主張する者もいるが、それは違う。数ある業務をメンバーに適切に配分し、実績をモニタリングし、必要であれば指導し改善を促すことこそがヒューマンリソースの最適化の一つなのである。

他にもメンバーの組み合わせによってパフォーマンスに差異が出る場合などは、ヒューマンリソース最適化のもと、チーム替えや指導等を行うこともあるのである。

より残酷な職務としては、誰か一人の要因によってチームのパフォーマンスが著しく悪くなるのであれば、その人物の今後の進退についてドライに議論しなければいけない。

これはメンバーの管理他ならないだろう。もちろん勤怠システムに打刻しているかどうか見るとか、有給をちゃんと取ってるか監視するといった内容はマネージャーの仕事ではあるが、これについて管理ではないと主張するのであれば、発言の趣旨は理解できる。

さて「パフォーマンスを発揮してもらう」には功利主義について議論する必要が生じる。マネージャーは、各従業員の幸福を最大限にし平等性、公平性を担保しなければならない。決して特定のメンバー(たち)だけ特別扱いをしてはならないのだ。

これは、我が国から事業運営において平等ならびに公平性を求められている(例:同一労働同一賃金、男女雇用機会均等法など)点、そしてヒューマンリソースの最適化という観点からみてもパフォーマンスに差異が出ることが自明である点から重要なのである。

その中で、議論の一つとして

「A, B, C というメンバーのチームがあったとき、A の行動によって B と C のパフォーマンスが低下している」

という課題に着目する。この場合「A を指導」とする選択を取ることがあるだろう(もしくは異動か)。

このとき A は「自分のパフォーマンス低下を招いている」とマネージャーを糾弾するかもしれない。または外野から「A をそんな風に扱うなんてかわいそうだ」という指摘があるかもしれない。

A への対応は果たして正義であるか、マネージャーの錯誤ではないか、という観点もある。なぜなら A を採用したのは何よりも使用者であるからだ。A からみては不誠実である。期待されて入ったのに会社から裏切られたという気分にもなるだろう。

A から見たマネージャーは自分の能力を開花させられなかった無能であるのに対し、B と C から見たマネージャーはパフォーマンスを高めてくれる人であると認識に齟齬が生じるだろう。

つまり「パフォーマンスを最大化させられているメンバー」「パフォーマンスを低下を招いているメンバー」の両者がいる。

さて、ここで両者を数値化し合計し、プラスになればチームのパフォーマンスは高まっていると言えるし、マイナスになればチームのパフォーマンスを下がっているといえる。

と言いたいところだが、そもそも両者を数値化することができるのだろうか。

例えば出したプルリクエストの数、コードの行数…どれもしっくりこない。どれだけ事業にコミットした数字なのかなんてわからないのである。

その一行のコードは、事業に対しての投資的な意味合いがあるかもしれないし、同時に技術的負債を解消するシルバーブレットかもしれない。複合的な因子が数多にあり、それを紐解くには時間が必要なのであって、本質的ではないからである。

A が仮に異動する又は、したことによって数値は改善すると言い切れるのだろうか。

そして、なによりも人間の感情を数値化することはできるのだろうか。場合によっては会社の都合で A の職を失わせる可能性もあるのは、果たして人道的であるのか。様々な考えがよどみなく浮かぶ。

ゆえに数値化するのが非常に難しく、B と C のパフォーマンスは発揮させられても A は発揮させられていないことから「パフォーマンスを発揮してもらう」ことは手段の一つであって「人と向き合うこと」が主たるマネジメントの仕事なのではないかと考察できうる。「パフォーマンスを発揮してもらう」ことを主たる業務と置くのは、かえって問題にもなりかねないとも考える。

もう少し広いスコープで見れば、B と C によってパフォーマンスを発揮できていない部署やチームがあるかもしれない。

このようなケースでは、パフォーマンスを発揮できない課題を抽出し改善を行う必要が生じる。その過程において場合によっては B と C に指導を行ったり、異動を求めなければならない。

彼らから「パフォーマンスを発揮させる(環境を作る)のがマネージャーの仕事ではないのか」と指摘される可能性もある。

そういった彼らと "向き合う" ことが重要なのである。ゆえに「人と向き合う」ということがマネージャーの主たる業務であり、それがひいてはヒューマンリソースの最適化につながると筆者は考えるのである。

@zy
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