ある人が言った。
「あの人、部下のせいでこうなってしまいました。私は悪くありません。」
他責思考で自分がプレッシャーから逃れるかのように。常に自己保身を考えているようだ。
別のある人が言った。
「問題が起こったときに、自分に非がないか考える自責思考を持て」
自責思考をすることがあたかも問題解決をするかのように。その人は自責思考という言葉に酔っているようだ。
自責思考を求める理由ってなんだっけ。なにか起きた問題に対して相手だけが原因ではないことを意識付けるのが目的なのではないのか。
であれば、自責思考やら他責思考で思考を抑制すること自体が誤りではないのか。
本来、私達の目的はゴールを目指す際に起こった課題を客観的に解決および再発防止を努めることではないのだろうか。
相手に自責思考を持て、他責思考を持つな、と思考の抑制をかけてしまうことはかえって、課題解決から遠のいているのではないか。
なによりも、自責思考という言葉を拡大解釈し、盾に使うことで自身に対する批判の矛先が向かないようにしている人間もいる。つまり、自責思考を相手に求めることで自己保身をするということだ。
そういった背景踏まえ、自責思考を求める人間が何よりも他責思考なのかもしれないな、と思う昨今である。
私達は、起きた課題を客観的にかつ事実を捉え、解決するためにどのような手法を使えば最短で課題が解決できるのか、戦略を議論していくことが大事だと常々考える。