「この件」に関して、私はまだ霧中にいると思う。手元に見えたときに少し考えが進み、しかし遠ざかった時にまた「でも……どういう形だっただろうか」と不安になるような思いを抱えている。端的に言うと「モヤモヤしている」。
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ネットで出会い、日々やり取りをしたり発言を見るたくさんのヒトのことを私は「魅力的な人物だ」と感じている。
うまくやれること、苦手なこと、好きなこと、嫌いなこと
とてもたくさんの「人となり」が見えてくる。そうするととても魅力的に見える。相手は私のことも見てくれることがある。私も同じようにうまくやれることを自慢したり、苦手なことを明かしたり、好きなものをみて笑ったり、嫌いなものを嫌いだと言ったりもする。
もちろん合わないヒトもいるだろう。とくに「嫌いなもの」などは、誰かが「嫌いだ」といったものが私の好きなものであった場合、悪い意見を見聞きすると嫌な気持ちになるものだ。
「SNSやネットの付き合いは、嫌だなと思ったらすぐにシャットアウトしてつながりを断てるのだから、不快なものをわざわざ見ることはない。見ていて気持ちいいタイムラインを構築しよう」
そうだね。それはとてもよくわかるし、みんなそうしたらいいと思う。不快な気持ちになって喧嘩を始めるとか、つらくなってしまうのだったらそんな思いをしなくてもいいと思う。すぐ切ろう、閉じよう、辞めよう。
ただし、私はそうしない。
この数年、ヒトは一人一人の中にたくさんの顔があるということに改めて思いをはせている。もちろん以前から言葉では「ヒトにはいろんな面があるよ」と知っていたつもりだったが、実際にひとりのニンゲンのいろんな面に接するようになると私の受け取り方や気持ちの変化も複雑で、まったく一筋縄でいかないのだ。
◆とても魅力的で、好みで、尊敬できて、私にやさしく、温かいニンゲン
◆決定的に、一発アウトな考え方の違いややらかしがあり、幻滅し、ヒトとしてどーかと思う冷酷なニンゲン
……ということがひとりのニンゲンと相対しているだけでクルクルと起こってくるのだ。「いろんな面がある」なんてありきたりの言葉では対処できないような目まぐるしさだ。
一目ぼれするような決定的な「好き」で恋に堕ちる、みたいなことはほとんどなく、日々の積み重ねで「このヒトはいいヒトだなあ」がじわじわと膨らんで「好きなヒト」を形作ってきたのに、一発アウトな出来事ではもう破裂したように心をしぼませてしまうのである。ああ、これが「幻滅」。まさに灯りが消えたように、今までの積み重ねなんかなかったようにヒトのことを嫌いになってしまう。
いままでの私にはそういうところが結構あった。ところが現在の私は「アッ、ダメ。さよーなら」とヒトから去っていくような幻滅・消灯機能が無くなってしまったように、ただ新しく照らされた側面を見て「でも、」と同じヒトの知らなかった形を手に取って眺めてしまうのだ。
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と、まあここまではそんなにモヤモヤしない。
意見の違いや快/不快でヒトとの付き合いを判断しなくなったというそれだけ。
しかしこのところモヤモヤ考えているのは「その振れ幅が大きすぎる」こと。魅力とアウトの激しいシーソーゲーム。
私の作品をとても好きになってくれたり、落ち込んだ私を優しく励ましてくれたり、わかってもらえないと吠えて暴れている私に「わかるよ」と共感をくれたり。とてもありがたいし、他の誰でもなく人となりを良く知ったそのヒトが寄り添ってくれるからこその温かみがある。
しかし、同じヒトが他の誰かを傷つける発言や行動、偏った差別的な書き込みを繰り返すのを見てしまう。自覚的に暴言を吐くのもいかがなものかと思うが、自覚なしに無邪気に「あ、それ言ったらあかんやつ……」をポンッと言うのを見てしまうのも厄介。わざとじゃなくて本心からそう思ったんだなと伝わってくる……
そして私はどうするのか。だいたい今のところ、戸惑って「みなかったふり」をしがちだ。とてもとても差別的で「自覚してわざと言っているならいい」とは言えない、見たならば「そんなことを言うもんじゃない」と周囲は指摘し、一度よく考えてもらい、治らないなら付き合いをやめた方がいいだろうというレベルのものもある。
まだ自分がどう行動していくか決めかねている。心の中の私の倫理は「議論の余地なく、差別的であり、指摘するべきこと。指摘しないなら間接的な加害であると言われてもしょうがない」と結論付けている。しかしそのような結論が出たからと言って、一か八かこの「私に良くしてくれる、魅力的な部分も多いヒト」にその結論を直接個別にぶつけられるだけの論理は組み立てられているのだろうか。
私の論理をぶつけて変わらなければつながりを断ちたいというわけでもない。しかし論理をぶつけるのであれば、相応の反発とやり取りが発生し、ぶつけた事実は無くならないのである。もやもやした霧は一か所に集まって氷になるかもしれないが、その氷は二度と溶けない可能性の高い氷だ。それをどうするのか。
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やはりどうにも決められない。モヤモヤはまだ続くし、ほかのひとがどうしているかを聴いたところで参考にできる気もしない。
とりあえず現状をまとめて今回は終わりにする。
【まとめ】
◆好きな人と嫌いな人は同一人物に宿ることがある。その振れ幅がすごいことに戸惑っている
◆快・不快の問題でなく社会的にその考え方や行動は他者を加害するという内容のものがあり、それを指摘せずにいることは加害に加担しているという思いが少なからずある
◆客観的に見てするべきことは私自身わかっているが、しない・できない・判断を保留にしている自分にモヤモヤしている。これからもどっちつかずで行きそう
以上、こんなかんじだろうか。