73. 諦念、『悲しみを聴く石』

アマヤドリ
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事件や災害が起こるたびにそれなりにショックを受けたり、人間とは何ぞみたいなことを考えたり、自分の価値観を見直す機会だったりしたけれど、コロナの後あたりから諦念のようなもののほうが大きくなってしまった感じがする。

NYのテロ、東北の震災、震災後に始めたサイトの運営のもろもろ、カナダに行って苦労したこと、フランス移住、パリで大勢が亡くなったテロ、パンデミック、身近な人間関係内で起きた性加害問題、ウクライナ侵攻、パレスチナのジェノサイド…

その都度何かが変わる、変えられると注力したり期待したりするけれど、あまりにも変わらなかったから/変えられなかったからもう無邪気にショックを受けたり希望を持ったりすることがなくなった。


アティーク・ラヒーミー『悲しみを聴く石』を読んでいる。

同著者の『灰と土』には男性ばかりが登場してイスラム世界での男性の堅い誇りについて書かれていた。今回の主人公は女性で、子どもの頃も大人になってからも人生を自分のものとして選択することのない社会の中で、唯一の庇護者を失う。答えのないままそれを聴かれ、見つめられ、かといってそれは自分と同じ肉体の続きであるということの不気味さや、それによって追い詰められ、時には自由になる姿が描かれている。

灰と土』では詰めた息を少しずつ吐き出すように圧力を失わない展開だったけれど、こちらでは円を描くように、緊迫した場面とそれが開放され漂う場面とが行き来する。円を描くように、というのは数珠を繰る行為にも似ているかも。

アティーク・ラヒーミーが描く男性と女性がかくも違うことが興味深い。『灰と土』の女性たちもただ無惨に翻弄される姿だった。この描写の中に作者自身の男女格差の感覚がどのくらい含まれているのか、本を最後まで読めば少し見えてくるのだろうか。インタビューなども聞いてみたい。私はイスラム社会のことをほとんど知らないのでいまのところこうして文学から推し量るしかないんだなあということも感じながら読んでいる。