昨日「行きたいところへは行けるうちに行こうと思ったはなし」にこんなことを書いた。
“英語力も体力も気力も年齢とともに低下しているけれど、旅に出て新しいものに触れることで、自分の中の好奇心を絶やさずに済んでいる。
経済的、時間的、体力的、すべてがパーフェクトに準備が整うことなんてないけれど、行きたいところがあるなら、「いつか」じゃなく、行けるうちに行きたい”
自分の書いたものを読み返して感じたのだけれど、そんな考えが強くなったのは40代後半に入ってからだ。もちろん戦争やコロナ禍、円安といった外的要因もあるれど、自分の年齢的なものも大きい、と自己分析している。
現在、子育てがほぼ終わり(私の娘たちは今20歳と19歳)、教育費のゴールも見えて(2人とも自宅通学の国公立大学)、10年前の自分からしたら「気兼ねなく旅に出られる状態」になっている。もちろん、まだまだ働かなくちゃいけないので、まったく“悠々自適”ではないけれど。
最近、同世代の友達と話していると、「年々、何かしてみたいという好奇心よりも、面倒くさい、おっくうだ、という気持ちが強くなっている」とよく耳にする。私自身は好奇心旺盛なタイプだと思うけれど、それでも10年前、5年前の自分と比べると、いろいろなことを面倒に感じるようになっている。
そのことが、私はすこし怖い。旅が大好きだけれど、いつか「旅は楽しそうだけど、計画して、飛行機やホテルを予約して、出発するのが面倒だな、行かなくてもいいんじゃない?」なんて思う日が来るんだろうか。
外的要因で旅に行けなくなる可能性もあるけれど、自分自身がこれから年齢を重ねて、どんなふうに心境が変化していくのかもわからない。
あと、先月マレーシアで272段の階段があるバトゥ洞窟(ヒンズー教寺院)を訪れたのだけれど、たとえば20年後、私はこの階段を自分の足で上れるのかな?なんてちょっと思ってしまった。
最後の●●って、そのときはそれが最後だなんて思わない。最後に子どもを抱っこした日、最後に子どもと一緒のふとんで寝た日。もう思い出せないけれど、きっとそのときはそれが最後だなんて思わなかった。
40代でこんなことを考えるのは早いかもしれないけれど、人生の残り時間を考えると、「どこそこへ、いつか行きたい」と思っていると、いつまでもその日は来ない(かもしれない)。
行きたいところに行く方法は、日にちを決めてチケットを予約してしまうこと。そうすれば、それを「決定事項」として、仕事だとか家庭だとかお金だとかの都合をつけていける。
行きたいところへは行けるうちに。そうつぶやきながら、私は数年来行きたいと思い続けていたバルセロナ行きの航空券を昨日買った。初夏の日差しを受けたサグラダファミリアは、写真で見る以上に美しいに違いない。