1ヶ月書くチャレンジ、今日のテーマは「これまでに夢中になったモノやコト」だ。認めてしまうと、私はいわゆる「オタク」なので、夢中になったモノはたくさんある。しかしそのひとつずつについて、いちいち語っていたら、文字がいくらあっても足りないだろう。
もっとこう、シンプルなものはないか。考えていたら、逆にどうしてそれを忘れていたのかわからない、あるひとつのコトに行き当たった。
夢中になったコト:演劇
私は人生の若い頃のほとんどを、演劇と深く関わって過ごしていた。なにをしていたかって、もちろん舞台に立って演技をしていた。
憑依型と理論型
演技をするというのは「人物になりきる」と言い換えられるが、この「なりきる」には実はタイプがふたつある、と感じていた。
ひとつは、人物を自分に憑依させて、体を使わせるタイプ。もうひとつは、人物を理詰めで理解して、その真似をするタイプ。前者を「憑依型」、後者を「理論型」とすると、このふたつのタイプにはいろいろ違いがあって面白いのだ。ちなみに私は理論型だった。
まず、配役のされ方。憑依型だと周囲から思われている人には、その人のイメージに近い(=憑依が簡単そうな)役が回ってくることが多い。理論型は逆で、わりとなんでも配役される。その人に理解できれば、なんでも演じられるからだ。
一見理論型のほうがすごそうだが、主役級が回ってきやすいのは憑依型だ。なぜかというと、やはり感情表現の真に迫るパワーが違う。憑依型は登場人物に乗っ取られているので、ただ真似をしているだけの理論型より感情が強く現れるのだ。
じゃあやっぱり憑依型が最強じゃん、と思うが、そうでもない。理論型は一度飲み込んでしまえば、そのあとはよっぽどのことがなければその役を安定して演じることができる。憑依型は、脚本や演出の変更によって役者に迷いが生じると、あっという間に出力が落ちてしまう。不安定なのだ。
みんなちがって、みんないい。どちらのタイプの役者も、強みと弱みがある。そんなことを考えながら私は他の役者たちを見ていた。
ゾーンを感じる
また、演劇で一番楽しいのはやはり大勢の観客の前で行う本番だが、なにが楽しいかって、究極の集中「ゾーン」に入るのがなんともいえない快感なのだ。
練習を繰り返し、体に染み込んだセリフと動作。緊張を通り越して、クリアになった思考。半分自動で演技を行いながら、残りの半分で周囲の状況を敏感に感じとり、臨機応変に対応していく。夢の中にいるような、全知全能の神の気分のような。
……表現が難しいのだが、本当に恍惚の時間なのだ。たぶん脳内の快楽物質がこれでもか、と出ていると思う。全部演じきった後に、「あれ? 舞台上でちゃんと演技できてたっけ?」なんて記憶を飛ばすくらい、トリップする感覚がある。……トチッた瞬間のことは明確に覚えているが。
書いていたら懐かしくなってきた。また演劇をする機会がめぐってこないだろうか……。
懐かしの思い出
懐かしいといえば、Day5.で話した女子中高一貫校で、演劇部に所属していた頃のことは特に印象深い。
女子校ならではの事情
女子中高一貫校の演劇部には、当然だが10代の女子しかいない。しかし、やりたい脚本には、王子さまはもちろん、おばさんとか、子供とかの、年齢がとびぬけて高かったり低かったりする登場人物も、普通に出てくる。
どうするのかって? もちろん、女子部員が全部演じるのだ。
変わり者女優あゆみ
そうは言っても、そういう演者と極端に年齢の離れた役は、ひとつの劇に多くても3割くらいの人数しかいない。20人の劇に3~6人という印象だ。だから、ほとんどの部員は、10代~20代の若者の役ばかりを演じて卒業していく。
ところが、私はまるで若者の役を振られなかった。一度だけ27歳男性の役を振られたことがあったが、15歳から見たら27歳男性は、まあだいたいおじさんだ(書きながら悲しくなった)。
私に振られる役の年齢は二極化していた。片方は、5歳から11歳くらいまでのちいさい子供。もう片方は、30代以上のおじさんおばさん。どうしてそうなった……?
卒業していく先輩方からは「あゆみの演じる奥様、ほんと好き」というメッセージをいただき、自分が引退するとき後輩たちからは「あゆみさんは子役の天才だと思います!」と寄せ書きをもらった。
やってて楽しかったし、褒められて鼻が高いのだが、どうしてその方向に適性が目覚めてしまったのか、いまだに謎だ。
インターネットという舞台で
最近はインターネット上で、ハンドルネームという仮面をかぶって、自分の一面を切り売りするのが、だいぶ一般的になった。
そんなふうに解釈すると、私は今も、このだだっ広い舞台の上で、役を切り替えながら演劇を夢中になって続けているのかもしれない。