笑って話せる今夜はいいね

biccchi
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※SixTONESの話はありません(なぜか今SixTONESでバズり中)

2024/05/12。ダウンタウンの浜田雅功が出演するごぶごぶ、およびごぶごぶラジオから企画がスタートした、ごぶごぶフェスに行ってきました。たくさんの出演者がいますが、浜ちゃんが主催者(CEOという役職だそうで)なだけあって、両日とも浜ちゃんが歌うと。初日は奥田民生と。二日目は小室哲哉と。

奥田民生の日は「春はまだか」と「ラブレター」をやるだろうなと直感的に予想した。バンドスタイルだろうし、ゲストのベースはハマオカモトになるだろうなとも。浜ちゃんの誕生日だしね。二日目はもちろんH Jungle with tになるだろうし、WOW WAR TONIGHTだけじゃなくてGOING GOING HOMEと初披露のFRIENDSHIPもあるかも(逆に言うと持ち曲は3曲しかないんだけど)。

どっちも見たいけど、とにもかくにも俺はH Jungle with tだけは絶対に見たかった。二日とも申し込んだけど、まずは二日目が第一次先行で当選。嫁さんも一緒に行ってくれるとのことだったので、行ってまいりました。

誰かが見たいからフェスにいく。こんなふうに突き動かされたことって、もうしばらくなかった気がする。もうたいがいのライブ見ちゃったし、フジロックやライジングサンみたいな環境とそれ以外が面白いフェスじゃない限り、よっぽどじゃないと行くことがなくなってきている。それが今回は即決だった。なんせ、ダウンダウンの浜ちゃんだ。

俺と同じ時代を生きた人にしか伝わらない感覚かもしれないけれど。90年代はダウンタウンの時代だった。日本のお笑いの歴史に教科書があるとするならば、おそらくダウンタウン以前と以後に明確に分かれるぐらい、歴史上一番大きな出来事として載るのではなかろうか。ラーメンズやオードリー、ダウ90000やサンドウィッチマン、今なら令和ロマンが新しい時代を作っていってるのもよくわかる。でもこれだけ日本全体の価値観を変えてしまうほどのひとたちは後にも先にもまだダウンタウンだけなんじゃなかろうか。

90年代はMr.Childrenがポップシーンを変えて、ロックシーンをミッシェルガンエレファントが変えて、パンクロックをHi-STANDARDが変えた。音楽にはそんなようにジャンルがあった。お笑いにも漫才やコントなどいろいろあったと思うけど、ダウンタウンは全部を変えてしまった。今のお笑いはダウンタウンが作ったお笑いの延長線上にほとんどがあると思う。

多分に漏れず俺もダウンダウンで育った世代だった。今見ても秀逸だなぁと思うけど、「世界一位」や「一本立ち」、「迷惑」「挑戦者」をみてはバカのように笑っていた。

今でも面白いなと思うのは俺がこれで育っちゃったからで、今の人が見て面白いと思うかどうかは全然わかんない。でも子供心に、フォーマットを逸脱した「なんかすげぇへんだけど面白いものをみてる!!!」という感覚をうえつけられたのだった。一番下の「挑戦者」なんて笑いすぎて親に心配されたレベルだ。

ダウンタウンはお笑いというものがフォーマット化していったのをどんどん崩していった。こういう形もあるだろうと新しいものをガンガン提示していた。この過程でダウンタウンが作った今のお笑いのフォーマットというものもたくさんある。それこそすべったときに使われる「寒い」という言葉。これもダウンタウン発祥だったりするし、その「すべった」という表現も松ちゃんだったりする。「空気を読む」みたいに今日常で使われてる言葉だってそうだ。

たくさんの形をこわし、たくさんの新しいものを提示したと思うのだけど、一番の功績は俺は「ツッコミの地位向上」にあると思っている。ダウンタウンまでの漫才はツービート(ビートたけしの漫才コンビ)、紳助竜助(島田紳助のコンビ)などが主流だったけど、いずれも圧倒的にボケがずばぬけていて、ツッコミは相槌役であった。お笑いはボケのためのものだった。面白いことを言うやつが勝つ世界だった。

一度俺の話に戻そう。俺は小学校低学年のときはそこそこ地元では人気がある子供だったと思う。そのあたりの話は鳥山明のことを書いた記事にも少し書いてあるのでよかったらそちらもどうぞ、ですが。小学校高学年にもなってくるとちょっと話は変わってくる。人気者の定義が小学校中学校で変わってくる。いわゆる、モテるという概念が入ってくる。ガキのようにぎゃーぎゃーやっていたら、いつの間にか女子たちは大人の仲間入りをしていて、女子からモテるかどうかという概念が発生した。それは子供すぎる俺にはまったくわからない話だったし、そこでモテる対象にないこともなんとなくはわかってたので別にそれはどうでもよかった。でも、勝ち残った人気者たちは出てきて、その子たちが男子としても覇権を握っていくのだ。あれ、モテるやつが勝つ世界になってきた。要は女性にモテるやつは男にもモテてるのだ。こりゃこまった。

人気者が元人気者になっていくというのは子供心にくやしかった。ファミコンもってれば人気である時代なんかとうにおわっていた。サッカーができるやつ、バカやって教室中を笑かしてるやつ。この二つが人気者だった。俺は運動はできないし、面白いことを言えるわけでもない。しかも俺はこのタイミングで中学進学で中学受験をすることになり、私立の中学にいくことになった。なんと知り合いすらいないところからイチからはじめないといけない。知り合いはそりゃ多いぜ、っていうスタートすらなくなってしまう。これはまずい。

そんなときに、輝いて見えたのがダウンタウンだった。1991年。俺が小学4年生の年。世間は月9ドラマが流行り、「ラブストーリーは突然に」「SAY YES」がバカ売れして、子供でも流行りというものをおっかけていたころ。もちろんバラエティ番組が盛り上がっていて、ひょうきん族が影をひそめはじめ、とんねるずの「みなさんのおかげです」「生ダラ」があり、山田邦子の「やまだかつてないテレビ」が盛り上がってたころ。すかんちの「恋のマジックポーション」とともに、「ダウンタウンのごっつええ感じ」が始まった。面白すぎてみんな見てたし翌日にはその話をしていた。話題についてこうと思って見始めた俺も虜になっていた。

ダウンタウンは一気に社会現象化していろんなテレビに出ていったけど、他でみたことなかったのが、浜ちゃんの暴れっぷりだった。

俺は、好きな芸能人といわれると、ずっと昔から一人だけ答えている人がいる。その方はもう亡くなっているのだけど。アナウンサーの逸見政孝さんだった。逸見さんの出る番組はバラエティ・ニュースとわず見てたんだけど、逸見さんは若手芸人であるダウンタウンをいち早く評価していた一人だと思う。ビートたけしや所ジョージという大物の前で、普通ならおじけづく若手芸人だろうけど、「ダウンタウンもっとやれ、浜田暴れろ」といわんばかりの逸見さんのダウンタウンへのサポートを。愛情を。そして浜ちゃんの大暴れを。

すごいと思った。そして、お笑いはコンビでやるものなのだと知った。

ダウンタウンへの入り口は逸見さんであり、逸見さんをののしる浜ちゃんだった。その浜ちゃんがやっていたコンビがたまたまダウンタウンであり、ごっつええ感じを見たのは浜ちゃんがやってる番組だったからだった。そうしたら松本人志の異常な世界が広がっていきどんどん沼にはまっていくのだけど。浜ちゃんってすげぇな、って目を持ってから見るごっつええ感じ、そしてそのあと知っていく「ガキの使い」でのフリートークでどんどん目が見開かれていく思いするのだった。

松本人志という男は、まぎれもなく笑いの天才だった。従来にはない角度で新しい角度もできるし、王道のおもしろさでもずば抜けていた。そして、その面白い人に対して、ただうなづくだけでも、ただなんでやねんっていうだけではなく。時にひっぱたき。時に「ふーん」と無視し。時に大笑いし。面白くするために話を膨らますことをこの浜ちゃんという男はやっている。

ツッコミという職業をここで知る。お笑いは、自分が笑わせるだけではなく、面白いやつをひきたたせても成り立つんだということを知る。

これは俺には衝撃的だった。そして、俺の目指すべき方向がなんとなくここでみえた気がする。俺は秀でてるものがとくにないかもしれないけど、話を聞いてふくらます人になろうと。それならなんか居場所があるかもしれない。

それから、俺はいわゆるボケではなくツッコミ側の立ち位置で、立ち振る舞ってわたりあっていけないかな、と決めてみる。浜ちゃんだけじゃなく、そのあとナインティナインが出てきても岡村さんの動きよりも矢部の立ち振る舞いをずっと見たりしていた。あんなに動く相方に対してどう横にいるのが一番面白くなるのか。

誰かと話してたら、どう相手が一番面白くしゃべってくれるか。これはお笑いの話だけじゃなく、気持ちよく話してくれるかとか、心をひらいてくれるには、みたいなところに通じるような気がして、すごく頑張るようになった。最初はどこかテクニック的なところを身につけなきゃ、という気持ちだったのかもしれないけど、そのおかげで人の話を聞くのが好きになった。

浜田雅功という人は、まぎれもなく俺の人生を変えた一人なのだ。

ちょうどそういう波の中で、浜ちゃんはH Jungle with tとしてWOW WAR TONIGHTという曲を出した。発売日前日にCD屋に行って買ったのをよくおぼえている。毎週オリコンをチェックして、1週間目の驚異的な売り上げから、毎週ランキングをチェックした。7週連続1位を飾ったことに誇らしくなった。

WOW WAR TONIGHTという曲の歌詞は、当時よくわかんなかった。カラオケでみんなで歌うのに気持ちいいなと思っていた程度だった。浜ちゃんも「すみません、本職じゃないんで、すんません」ってスタンスで歌番組に出続けていたし、あまりちゃんとそのときはわかってなかった。それよりも一番最後に松本人志が浜ちゃんとの出会いのエピソードをナレーションとして入れたことにドラマチックさを感じていた。

ただ、むっちゃくちゃいい曲だなと思っていた。小室哲哉の楽曲は、当時を知る人ならわかると思うけど、小室系として扱われ、ひとつの大ブームをおこした。そのブームはあっという間に去ることになる。小室哲哉も多作すぎたのもあるかもしれないけど。なので、聞く方もどこかで消費品として聞いていたような気がする(後追いで聞いたTM NETWORKにはまったり、I'm proudが名曲すぎて今でも俺の殿堂入りしてたりはもちろんあるんだけど)。基本スタンス、消費品だった。でも浜ちゃんのこの曲は、小室哲哉が珍しく男に向けて作った曲だったからなのか、なぜか自分の中でのこっていった。

29年たって、2024/5/12。H Jungle with tはステージにでてきた。浜ちゃんは当時と同じスカジャンを着て。小室さんは少し太ったけれど、あのころと同じようにギターをもって。そうだ、H Jungle with tのときはギターをもってコーラスしてたわ。

ライブはGOING GOING HOMEで始まった。浜ちゃんのキー当時のまんま!なんなら当時より歌えてるレベル!と感動した。歌詞がまた、絶対そんな意味じゃないんだろうけど。どこかで松ちゃんのことを歌ってるようにきこえて、勝手に染みていた。これだけでも来た意味があると思った。29年たって音楽の違う聞こえ方がするだけで価値がある体験だった。

そして、WOW WAR TONIGHTのイントロがなり、浜ちゃんが「たまにはこうして肩を並べてのんで」と歌った瞬間。

自分でもびっくりするぐらい、ゲロ吐いたように目から涙がとびでた。どわっと。おえっと。

今目の前で。俺の人生を変えた人が、うたっている。俺が葛藤していた時期であり、自分の道をすこし照らしてくれたような曲を。そして、初めて気づく。「たまにはこうして肩を並べて飲んで」。このフレーズだけで俺にとってのいろんな人の顔がぶわっとよみがえった 。仕事でお世話になったひと。ともだち。もう会えなくなってしまったひとたち(アメリカにいったあいつは元気か)。そして続く「ほんの少しだけ立ち止まってみたいよ 純情を絵にかいたような散々むなしい夜も 笑って話せる今夜はいいね」。

あぁ。これは小室哲哉が自分に向けた曲であり、同じように時代を戦っていた浜ちゃんに書いた曲であり、そして同じように戦う大人たちに向けた曲だった。

それと同時に、俺の人生がひとつの道にたとえられるなら。その通ってきた道に、29年分前の一に、「これからはここに行くぞ!」と俺が立てた看板の曲でもあった。そしてその曲は、29年間の俺を全部つつんでくれる曲だった。

刺さる言葉だらけなんだけど、それだけじゃないのがこの曲のいいところ。何度も聞いたCDのように、バラエティ番組で「結果発表~~~~!!!!」というように。浜ちゃんはこの歌詞の最後の部分を「人生のぉぉぉお!!!」「ほめろぉぉぉぉぉ!!」と叫んでいた。そこでふと、ふっと笑ってしまうような、心にスーッと入ってくるような不思議な感覚になる。この感覚は中学生のときに一度だけ感じたことがあった。それはTHE BLUE HEARTSの「人にやさしく」という曲の「がんばれ」という叫びだった。この叫びがすーっと、しんどくてもええやないか。と包んでくれるような気がする。

俺が人の話を聞けるような大人になったかはわかんない。社会人としてもがんばれてるかどうかはわかんない。人からどんな評価をされてるかなんかはわかんない。でも、自分なりの必死ってのが自分にしかわからないところにあって。それを「ええやんか」と浜ちゃんが言ってくれたような気がして。

29年前とこの曲はなんも変わっていなくて、俺だけが変わっていったんだけど、29年経って初めてこの曲のすごさに気づかされた。本当に昔おいてきた忘れ物、落とし物を見つけたような。それともこっちのほうが言葉があうのかな。あのときし忘れていた話を今やっと話し合っているような。そんな時間だった。

長く生きてるとこんなこともあるんだな。

浜ちゃんも小室さんも、長生きしてくれてありがとう。俺なりにもがいてきたこと、別に誰にも返事をもとめてなかったことに対して、「大変だったよなぁ」って相槌をもらったような気分になりました。

浜ちゃんはこのイベントを始めるにあたって、おそらく言い出した当初はそこまで本気じゃなかっただろうけど。息子のいろんな激励や、それこそ相方のことも含めて、ちゃんと喜んで帰ってもらうイベントにしよう、絶対成功させようと心を尽くしたんじゃなかろうか。初めて開催されるイベントなのに、そこらじゅうに楽しめる仕掛けがほどこされてて、ステージの合間も浜ちゃんと出演者のトークがきけたり、浜ちゃんが好きな人にはたまらないフェスだった。

普通こんなにできないですよ。お客目線にいきなり立てるなんて。普段からその姿勢でいるひとにしかできない。俺がこうなりたいと思わせてくれた人は、俺の思った以上に俺のあこがれる理想像でした。

浜田さんこそ、自分がどんだけやったか窓にうつってる自分を、たまにはほめてあげてください。

フェス二日間おつかれさまでした。そして61歳の誕生日もおめでとうございます。来年もやると「結果発表」されてらっしゃいましたが。

来年は、相方がそこにいますように。一緒にチキンライスやったり、Re:Japanやったり、それこそM Jungleがでてきてもいいと思う。本人の目の前でいやいやラブレター歌ってもいいと思う。

ダウンタウンを見れたら俺の人生のやりのこしたパズルにうまってないピースの、すんごい大事な部分が一個うまる気がします。

@biccchi
びっちです。