Mr.Children「miss you」感想文 part3(ラスト)

biccchi
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part2はこちら。

1,2曲目までを1曲ずつ書いてきましたが、「miss you」というアルバムの位置づけを明確にしたくてわざと一曲ずつ書いてきました。ここまでを少しおさらいしてみましょう。(ここまでの長い文章は次に要約したことをだらだら書いているだけでした)

どうやら「miss you」という作品は今までのミスチルの作品と、そもそも出す姿勢からして違いそうだということ。明確に「老いていくこと」に向き合っている作品であろうこと。そして、本音がこぼれてしまったかのように、嘘のない作品であろうこと。

140字でまとまることをなんであんな長く書いたのかはわかりませんがこのブログの立ち位置がそういうもんだから、ということでご容赦ください。最初の二曲は「このアルバムはそういうものですよ」というのを、歌詞からもMVからもアレンジからも教えてくれるイントロダクション的な役割だったように思う。

聞いていけばわかるけど、1,2曲目はアルバムの内容のイントロダクションであり、予告編や前書きのようなものである。3曲目の「青いリンゴ」はいわゆるアルバムの一曲目だったりリード曲のような、オープニングの役目。4曲目「Are you sleeping well without me?」~9曲目「We have no time」までがひとかたまり。本編と称していいと思います。10曲目「ケモノミチ」がアルバムのエンディング。11~13曲目の3曲はほぼメドレー形式で、エンドロールのような形となっている。まるで映画のようだけど、ロードムービーのようでもないし、ドキュメンタリー映画のようでもない。じゃあこの作品はなんなのか、を少しずつ見ていきたい。

1,2曲目については散々書いたのでw 3曲めの「青いリンゴ」から。イントロを聞いてしこたまびっくりする。まず、音が少ない。スッカスカである。アコースティックギターの音で始まるけど、ギターのジャラーンというストロークですらない。普通だったらエレキギターでひずませてギュイーンとやりそうなイントロ(それこそイノセントワールドのイントロが田原のエレキギターで奏でられるように)を、アコースティックギターの優しい音色で弦一本だけで奏でていく。追いかけるドラムもベースもタイトだけど、決して出しゃばらない。隙間のほうが目立つぐらいである。でもなんだか異様に演奏が生き生きしているようにみえる。

そこに連なる歌詞が、とてもいい。

この歌詞が、アルバム全体のテーマのようでもあると思った。この作品は失ったものについて嘆くようなアルバムではない。老いてきた。置いてきた。失くして、無くして、亡くしてきた。生きることは選ぶことだって遠い昔だれかに言われた気がする。選んだからこそ、選べなかった置いてきたものもある。それをあるがまま受け入れたうえで、「生まれ変わったら見たい世界がある」「まだ間に合う気もする」とうたう。

「生まれ変わったら見たい世界」。それは、ifの世界。選べなかった世界なのか、選ぶことができたけど、選ばなかった世界なのか。本当のことはわからないけれど、いずれにしても選ばなかった世界を、見てみたいんだという意思。

これはMr.Childrenというバンドが、みんなのバンドであることを受け入れてきたからこそ、みんなのバンドであるために選ばなかったこと、しなかったことがたくさんあることを示している。

Mr.Childrenはみんなにとって、夢を見せるバンドだったのだと思う。人間臭い部分はたくさんあるけれど、それでも前に進む、ロックバンドだけれどポップスターも背負ってきた。夢は、ファンタジーである。ミスチルのアルバムにも「SUPERMARKET FANTASY」というアルバムがあるし、まさしく「fantasy」という曲もある。そして、ファンタジーは、虚構でもあり、突き詰めれば、嘘であり、作り話でもある。ポップスとはそういうもんだよとも思うし、そこに従事してきたMr.Childrenは本当にすごすぎるバンドだと思う。30年そこに自分たちをささげてきたのだから(それが全て実っていたかというとそうとは限らないけど)。

でも、ポップスターの服を着ることをやめたら。ある意味で、嘘をつくことをやめたら。Mr.Childrenという大きな看板を背負わず、学生の頃から一緒にあるいてきた音楽好きの四人に戻ったら。あえて選んでこなかったけれどやりたくてしかたないことは、絶対に絶対にたくさんあったはず。それは、Mr.Childrenにとってやり残してきたことだったんじゃなかろうか。

桜井はバンドを愛している。でもミスチルとしてやらなきゃいけないことにアウトプットをしぼっていた。それがミスチルらしさでもらしさでもあり、「自分らしさという檻」でもあった。その檻の外にあることを、老いてきた今、やるなら今しかないと思ったんじゃなかろうか。死のにおいが全体にただようのは、「やるなら今が最後なんだ」という、余命の中での最後のチャンスのようにこのアルバムに挑んでいるからのように思う。

2022年に「半世紀へのエントランス」というツアーが行われた。このツアーは選曲もすばらしいけれど、ドームやスタジアムクラスであるのにかかわらず、サポート一人だけで、バンド四人とサポート一人の五人編成で鳴らすということにこだわったライブだった。映像を見れる人は見てほしい。あんなにでっかい会場で、案外五人がこじんまりまとまっているのである。音をいつくしむように愛情をもって演奏をし続けていた。Mr.Childrenとは、ポップスターである前に、ただのバンドなんだ、そしてバンドが一丸となったときに一番の威力を発揮するんだ。そういうステージだったと自分はとらえています。そのツアーを終えての最初の作品。30周年をこえて、50周年(半世紀)への入口となるこの時期に、この4人でやり残したことは、夢やファンタジーのためにミスチルを使うのではなく、Mr.Childrenという虚構を脱ぎ捨てて、自分たちのやりたいことを詰め込んでしまえということだったんじゃなかろうか。

ここから一曲一曲のことは一気にはしょるけども。「Are you sleeping well without you?」はもうライブ演奏のことなんか無視した、ほぼエレクトロピアノとドラムだけの曲。「LOST」はなんとベースがエレキベース。エレクトロサウンドの中で淡々と進む世界。ほぼ打ち込みでできちゃう。あの「ALIVE」を想起させるような世界が開けたようなサビ、そして「ALIVE」の世界よりも救いのない歌詞。「ALIVE」は荒れ果てた道でも「さぁ行こう」と言うからMr.Childrenたりえた。いつかぽっかり光が出るかも、とも歌っていた。この曲は「放った光さえゆがんだ闇に消えてった」「また今日も立ち尽くしている」と、狙ったかのように「ALIVE」と対比するように歌う。

世界観はずっと絶望的なまま、音楽的にはベッドルームポップとインディーフォークを行き来するような続いていく。とても聞いていて聞き心地がいい。これを「Mr.Childrenはこういう音じゃないと!」と言い出すと、このアルバムを聞き逃すことになる。田原のギターが聞きたい、ジェンのドラムがききたい、ナカケーのうねるベースがききたい。ストリングスのゴージャスなアレンジや、プログレッシブな大きな展開が聞きたい。なによりもキャッチーで胸をつかむようなメロディーがききたい。声を張り上げて歌う桜井和寿の歌声が聞きたい。それらは、俺たちがミスチルらしさと思ってきたものであり、ミスチルに「こういう音をやり続けてくれ」と押し付けてきたものでもある。そこから解放されると、こんなに音楽的にかっこいい音ができるじゃないか。世界でみてもBig Thiefなどを筆頭とするインディーフォークの流れや、ClairoやFKJが奏でるベッドルームポップの流れとも合致する。

まだやれてないことを、やっとやれる喜び。その喜びに満ち溢れているアルバムに俺には聞こえる。こんなに絶望ばかり歌っているのに、うれしくてたまらないように見える。

この内容でいきたい、と一番強く願ったのは、桜井だろうし、そしてこの内容でいいだろうかとも悩んだのも桜井だと思う。そして、「それでいいんだ、やろうよ」と背中をたたきながら一緒に歩く3人がいたんだと思う。この曲を活かすためなら、俺は演奏しないほうがいいね、という選択すらできたのだと思う。絶対に全員の楽器が入らなきゃいけないというのもひとつの縛りになってしまう。今回はもう鳴っていてほしい音、言いたい言葉に忠実に、それを活かすためにできることなら、演奏をしないことを含めてなんでもやってやるんだ、という尊い意思を感じる。

REFLECTIONからSOUNDTRACKSまで、小林武史が抜けた中自分たちのサウンドを模索してきたMr.Children。サウンドがSOUNDTRACKSで一度究極まで研究しつくした中で、今度は真逆のアプローチ。きっとやりたくても我慢してきたことなんだろう。我慢してきた内容だからかそのハメの外し方がすごい。

次の曲「アート=神の見えざる手」はたぶん聞く人を相当選ぶ。歌詞にひっかかる人もいるんじゃなかろうか。自分は全然気にならなかった。こういうとき普段歌詞を聞かない自分は便利だなと思った。単純にトラックが気持ちいいのと、そこに特にメロディをもたない桜井のつぶやきみたいなものが乗っかるのがいいバランスだなと思って聞いていた。確かに歌詞は刺激的だけど、問題作とは全然思わなかった。青いリンゴのイントロのほうがミスチルの常識から逸脱したよっぽど問題作だと思う。

次の「雨の日のパレード」「Party is over」「We have no time」の3曲の連続はこのアルバムの中でも一番好きな3曲。この3曲はまず聞いていて心地いいのと、いずれも過去にバンドやストリングスたちでやった数々の曲を、バンド形式じゃなくてどこまで表現できるかの挑戦でもあるように思う。わかりやすいのが「We have no time」はシフクノオト収録の「天頂バス」だ。あれだけのカタルシスと展開をもつ曲とほぼ同じような曲調を、サックス一発だけでダイナミズムを生んでいる。引き算しつくした中で際立つ音。かっこいい。「Party is over」にいたってはギター一本での弾き語りである。普段だったらこの曲は「Sign」のようなゴージャスなきれいなアレンジになっていたことだろう。でもこれをアコースティック一本でやるからこそ、この曲で訴えたいことが丸裸で襲ってくる。そして、この曲でも、ミスチルという姿にすがること自体がもうカッコわるいんじゃないか、と言わんばかりの内容を歌っている。

どれだけ我慢してたんだ。いろんな曲がりくねった道のことを歌うバンドではあったけど、自分たちのことをこんなに吐露するバンドではなかった。でもだからこその異様なリアリティ。尖った音もあいまって妙にぶっささる。それがかっこいい。

そしてここまで聞き進めてわかる。これは、ライブではおそらくMr.Childrenとしてのバンドの音で再構築するのだろうと。Mr.Childrenは作品を出すたびにツアーをやるけれど、いつもツアーでアルバムが完成するといっても過言ではないぐらい、ツアーがアルバムによりそった内容になっていた(だからこそアルバムツアーは必ず行きたい)。逆にいえば、この作品はこの作品で、ミスチルとして完成させるのはライブでやればよくて、作品はライブでやることもミスチルであることも全部捨てた方向に振り切っちまえばいい、という作品にも聞こえる。その割り切り方をしながら聞くと、あぁ、きっとここでライブではこのように化けていくんだろうと想像も膨らんで二度楽しい。

そしてエンディング扱いと思われる「ケモノミチ」で一度アルバムは終わる。Mr.Childrenが間違いなく得意とする曲調を、ドラマチックに飾りすぎることもなく。今必要な音だけを選んで演奏しているのがよくわかる。ここで小林武史がいたらストリングスバーン!ピアノバーン!ドラムドコスコドーン!ギターベースひっそり!になるところだったと思う。ここではこの曲を伝えるためにアコースティックギターが全面に出て、アコースティックギターとストリングスという「もともとマイクを必要としない楽器たち」だけで鳴らすことに最大の意義があるのだと感じた。本作らしさが一番出ている曲だと思う。

歌詞の中では「Love Song」と「SOS」という対比。Love Songとして世の中に放ってきたMr.Childrenがずっと抱えていたSOS。それを、初めて吐露する今作。ここで歌われる「仕返し」とはなんだろうね。ポップスターを押し付けてきた、他人や、もしかしたら自分へかもしれないね。

そのあとは、悟りでも開いたのか、ケモノミチでもしかしたら死んだのかw エンドロールなのか三途の川にむかってるのかわからないぐらい朗らかな三曲でアルバムは終わる。正直そこまで頭にはのこらないんだけど、このエンドロールがあるからここまでの内容が際立つように作られているように思う。

3曲の中の「deja-vu」という曲が、エンドロールの中に隠された本作らしさがある。

ずっとブレーキしていたことを、わざとアクセルしたのが今作。いつもアクセルしていることをわざとブレーキしたのも今作。極端な作品だという自覚もあるのだと思う。そこを最後に説明したうえで、これからもいろいろ迷っていくけど、こんな僕のことを見つけてくれてありがとう、と歌う。

Mr.Childrenを求めている人は、もしかしたらこの作品をMr.Childrenだと思わずに、”見つけないで”終わってしまうのかもしれない。だからこそ、このエンドロールまでたどり着いてくれて、Mr.Childrenという服をぬぎすてた「僕」のことまで見つけてくれてありがとう、と伝えている。

Mr.Childrenの挑戦の中でも、相当ハイリスクかつ面白いチャレンジをした作品だと感じました。発売以降何回聞いたかわからないし全然飽きない(そして相変わらず最後三曲がはいってこないw)。

なんとなく、これをやったからには、次はこんな僕ですけど、Mr.Childrenの服着たらすげぇんすわ!って作品をやりそうな気がする。そのために必要な、そしてこのタイミングだからこそやっとできる意味の強い作品でした。

ミスチルミスチルした作品が食傷気味なひとでも、音楽好きだったら聞いてみてほしい。下手な先入観がないひとのほうが気持ちよくきけるのではないかと思います。

ずっとミスチルには地に足をつけた作品を作ってきてほしいと願っていました。「彩り」という曲でそれがかなったと思っていたけど、”老い”と、まさかミスターチルドレンという服を脱いだ自分と向き合っての作品という形でさらに地に足がついた作品が出てくると思いませんでした。

感無量です。Mr.Children聞き続けてきてよかった。そして一緒に年をとってきてよかった。これは一緒に年を取ってきたからこそ一緒に分かち合える喜びもある作品でした。幻滅したひともいるだろうけど、だいじょうぶだよ、こうやって受け入れる人もいる。ちゃんとひとつのバンドとして、4人の人間として見ている人もいる。それでもはっとさせられたりしたし、たくさん押し付けてきた部分にも気づかされて反省したりもしたけれど。

こうやって気づいたり気づかされていきながら、一緒に生きていきたいバンドだなと強く思う作品でした。

「miss you」、大好きな作品です。

三回にわたり読んでいただきありがとうございました。

@biccchi
びっちです。