Mr.Children「miss you」感想文 part1

biccchi
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※この文章はレビューではありません。評論でもありません。俺とmiss youという作品の対峙の記録なだけです。得るものはとくにないとおもいます。優れたレビューを読みたい方は他へ。

さて。前段となるお話から。

このブログのような場所には名前がありません。しずかなインターネットというサービスはそこがいい。あの頃のように何も考えずにほえほえにっきと名乗る必要もない。どうもこんにちはほえほえにっきのびっちです、と必ず枕詞につける必要はないし、ほえほえにっきはBAZRAを応援していますと定期的にいわなくてもいい(応援はしてます)。

ただこの場所はほえほえにっきをやめてから15年ぐらいあいてからの地続きの場所であることに変わりはなく。あのときのびっちさんは必ずこう言っていました。好きなアーティストはMr.Children、Hi-STANDARD、小沢健二ですと。

小沢健二には自分の中で「もうないな」と思う場面が多くなり、一旦別れを告げました。ハイスタはツネが亡くなるという予想外のことはあったけれど相変わらず追い続けています。NOFXのライブを見た頃には何か形にできたらいいなと思っています。

Mr.Childrenは思った以上にいろんな意味で長生きで、この3組のうちずっと現役でいつづけて最前線にいる。最前線という定義によるし、もう老若男女に受ける音楽スタイルではないなとは思うけれど、日産スタジアムを簡単に埋めれちゃうのは最前線でいてくれてると言っていいと思っています。

そしてそんなミスチルのことを、俺も変わらずずっと追い続けてきました。ブログを書いていた頃はHOMEツアーの感想を書いていたのが最後な気がするから、2007ぐらいで止まってるのかな。ブログ読んでてくれた人であれからを知らない人向けにお伝えするとw あれからも全部のアルバムを聴き、チケットが取れないツアーはあるけど、基本的にはツアーがあれば1会場は行くというのを2024年まで続けてきました。ちゃんと数えてないけど今までに50回はミスチルのライブを見てきたんじゃないかな。基本的にはほとんど好きだからこそ文句を言いながら(好きじゃないと文句も出ない)。2008年の「HANABI」という曲、2015年の「REFLECTION」というアルバムのときだけは両手をあげて賛辞を述べていましたが。他は大体なにかしらぶーたれながら、こじらせながら、それでも新作を聞ける、待てる幸せを噛み締めながらここまできました。

そして2023年。Mr.Childrenの数年ぶりのアルバム「miss you」が発表されました。

この場所を始めるときに、ものすごい長文で、「自分の中のもやもやした、ぼんやりしたものを、できるだけそのまま、形を整えず残すということをやりたい」といった趣旨の文章をあげた気がします。あれだけの長文は、今かぎかっこでくくった140字以内で要約できる程度のことです。俺がやりたいことは本来140字でまとめられることをぐだぐだ語りたい、ということなんです。ファストうんたらみたいなのと逆行してるけども、こんなもん別に読みたい人が読めばいいんであって、わざわざまとめる必要がどこにあるんだよとも思っています。ということで、このままだらだらといきますが。こういうことをやりちあ、自分の中にふくれあがったものを「うわ、なんかの形にしたい」と思わされたことが2023年に2つありました。ひとつは、ELLEGARDENの新作から夏のツアーまでのことを自分の記録としてまとめたくなったということ。そしてもうひとつはこのMr.Childrenの「miss you」についてでした。

聞いて、感情があふれてとまらなかった。先に言いますがおれはこのアルバムが大好きで、発売からずいぶん時間が経った今も繰り返し聞いています。好きじゃないアルバムはどんなに好きなアーティストでもすぐ聞かなくなるのが私です。すでにミスチル史上聞いた回数TOP5になるアルバムになろうとしています。

このアルバムが、俺から見えるミスチルにとってどんなものだったのか。俺にとってどんなものだったのか。それを書いていこうと思います。

というわけで、Mr.Childrenの21枚目のオリジナルアルバム、miss youの感想文です。

新譜発表時は内容はほぼ明かされず、既発曲ゼロ、いわゆるリードシングルゼロで、まずはCDのみの発売。発売前からツアーは始まったので、このアルバムの内容はツアー、CD、そして遅れてサブスク解禁となりました。発表の方法論としては過去の2011年のSENSE(発売当日までアルバムタイトルまで伏せられていた)や、REFLECTION(ファンクラブツアーやツアーでアルバム発売前にツアーで曲を演奏し、ツアー最終日にアルバム発売を迎えた)と似ています。こういうことをやるときには、作品に何かしらの狙いがあるのがミスチルのやり口です。期待2、どうせまた外すんだろ8、の気持ちで俺はサブスク解禁をまっていました。

一曲目、「I MISS YOU」から聞き始める。

このアルバムに託されたものがこの一曲の数分ですべてわかってしまい、気楽に聞いていた自分がピシャっとはたかれたような気分になる。Mr.Childrenを好きだったからこそ、俺はこのアルバムに向き合わないといけない。

アコースティックな手触りの音だけど、決して温かい音ではない。どこか冷えた、指先が冷えきってかじかんだときに聞こえてくるような音が鳴り続ける。シンプルなギターのアルペジオから、ひとりひとりの音が重なっていく構成だけど、盛り上がるべきサビらしきメロディで、いつもならドカーンとアレンジを入れるところで、意図的といえるぐらいにトーンダウンさせる。淡々と、淡々と、不穏な音がつづいていく。その中で歌われることは、穏やかな絶望。

まちがいなくこれはMr.Childrenのことを歌っている。Mr.Childrenといえば、今の時代では違うかもしれないけれど、90年代を生きた人からすれば、だれからしても「いつの日もこの胸に流れるメロディー」だった。大ヒット曲を連発し、どれもこれもみんなのうただった。本人たちは100万枚売りたいバンドではあった。その夢は「CROSS ROAD」という曲でかなうことになる。その後も「innocent world」「Tomorrow never knows」「名もなき詩」「終わりなき旅」「Sign」「HANABI」と、みんなのうたとなる曲を届け続ける、モンスターバンドとなっていった。

でも、本人たちはそこまで望んでいただろうか。そこまで引き受けたかっただろうか。そうなってしまったバンドの宿命と使命はたしかにあったと思う。だからといってそれをずっとやり続けることへの苦悩がないわけがない。役割を引き受けることで、役割のために捨てなければならなきゃならないこともあったはず。ミュージシャンなんだからやりたい音楽がある。趣味に走ることすら許されない。ポップミュージックの枠の中でだけ、趣味をしのばせるか、ときどきわざと気がくるって自由な曲を作るぐらいしかない。帳尻あわせに大衆受けする曲をつくってバランスを取りながら。

Mr.Childrenはライブでもずっとヒット曲を求められてきた。セットリストにヒット曲がなければこれでもかとたたかれてきた。RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008に出演したときがいい例だ。このフェスに2008年ミスチルは初出演した。友達もたくさん集まるフェスで、みんながミスチルを楽しみにしていた。あんな曲きけるかな、こんな曲きけるかなと。そしてライブが終わったあと、セットリストの内容も含め、ミスチル何してくれてるんだ楽しみにしてたのに、とたくさんの友人に俺がミスチルファンとして怒られた。

そういわれましても、と思いつつ、俺もみんなが楽しみにしてるミスチル像がわかるから、当日すごくいいライブをしてたのに、途中から「あわわこれはみんなが喜ばないやつだ」とそっちのほうが気になって、演奏よりも「これたたかれるなぁ」と集中できなくなっていったことのも事実ではある。そしてその通りになり、俺は各方面に謝った。ある評論家テイストの昔からの友人は、スタジアムバンドとしてのミスターチルドレンしか興味ない、といった趣旨の発言をしていた。すごくわかるけれど、とともに、Mr.Childrenもただのバンドなのにな、とも思い続けていた。誰もMr.Childrenをただのいちバンドとは思ってくれないんだな。Mr.Childrenだって、ただのいちバンドなのに。でもそれを世間はゆるさない。国民的アーティストになってしまったんだから。

だからMr.Childrenはinnocent worldや名もなき詩を歌い続けてきた。「いつの日もこの胸に流れてるメロディー」が聞きたいと求められているバンドとしての役割を果たそうとしてきた。完全にそこに振り切るときもあれば、そこに振り切り切れずに葛藤するライブもたくさんみてきた。やりたいことがたくさんあるけれど、やりたいことにも舵を切り切れず、もがいている姿を見てきて、そのたびに俺もつらい思いをしてきた。

だからこそ、この歌詞は刺さる。

「繰り返すフレーズ 迷って試して信じて疑って 何が悲しくて こんな事繰り返してる?」。

これはMr.Childrenという箱に乗ったクルーなら絶対に言ってはいけない決まりの言葉だ。でもこのアルバムはそこから始まる。

そして続く。「二十歳前想像してたより 20年も長生きしちまった」と。ミスチルの桜井は何度か口にしている。ノストラダムスの大予言の話を。1999年の7月に世界は滅亡するという予言で、どこでどのように流行ったものかはわからないけれど、自分も物心ついたころにはそういう予言があることは知っていたし、99年に世界が終わる、というのは半分ネタのようにして共通認識としてあった。桜井和寿は音楽が大好きでロックが大好きな人だった。だからこそ、99年にはどうせ世界が終わって死んじまうんだから、そこまでなら多少破滅的な生活だろうがなんだってやってやる、という考え方の人だった。CROSS ROADでの成功のあと、思ってもみなかった社会現象になってしまい、おそらく人間として壊れるレベルの状態にまでいってしまったと思う。それでも、99年までならなんとか、と思って活動していた。それは後々ライブのMCでも語られていたので、どこまで本当かはわからないけど、少なくとも桜井の中にあった要素だったのは間違いない。99年に世界が滅びるという予言は、桜井にとって救いだったんだと思う。

でも世界は終わらなくて、呪縛は終わらなくて、そしてMr.ChildrenはMr.Childrenとして続けなくちゃいけなかった。それから20年以上、こうやってやってきてしまった。

桜井はMr.Childrenというバンドのことが大好きである。たぶん桜井が一番のMr.Childrenのファンであり、Mr.Childrenの魅力を理解している人だと思う。こうやったらバンドの魅力が出るんだということも一番わかっている。でも、桜井の思うバンドの魅力は、世間が求めるミスチル像とはおそらくずれている。少なくとも「"桜井が考える"世間が求めるミスチル像」は桜井の思うほんとのバンドの魅力とはずれていた。

ミスチルとはこうあってほしい。ミスチルとはこうあるべき。それは、俺をふくめたファンが作り上げて押し付けたミスチル像であり、桜井自身が「知らぬ間に築いてた自分らしさの檻」だった。

それが、つらかったんだよ、という、独白。こういう嘘をついてきたんだという自白のようでもある。ゆるやかな、おだやかな、そしてとても冷たく深い絶望がこの曲から伝わる。

桜井がここまで言っている。桜井は今までにない本気だ。Mr.Childrenとしてのタブーを犯してまで、やりたいこと、伝えたいことはなんだ。

俺はこのアルバムを通して桜井が吐き出したいことを受け止める義務がある。ミスチルをミスチルとして求め続けたファンとしても。Mr.Childrenはただのバンドだよねって主張をずっとし続けてきた立場としても。

さぁ、二曲目へ。

part2につづく。

@biccchi
びっちです。