クリスマスには雪が降ってほしいなどと戯言抜かしたやつは誰だ。わたしだ。降ったら降ったで寒くて凍えている。
そんでそんな寒いクリスマスにこんな景気の悪い記事書きたくねえんだよほんとに、と思いながらこれをぽちぽちしている。もうとっくに日付は変わっちゃいましたが。
かえして!Twitter
ここ数日TLを騒がせている通り、web版のXに画像編集機能が追加された。自分の投稿画像はもちろん、他人がアップロードした画像も「許可は必要なく自由に」「Grokの生成AI機能を用いて」編集することができる機能。シンプルに最悪。
これだけ簡単に著作権侵害行為がまかり通るようになってしまったら、ユーザーの流出も無法地帯化も止まらないんだろうなという予感とともに、改めてわたしたちが慕っていたTwitterは影も形もなくなってしまったんだな…という実感が押し寄せてきて悲しい。
わたしがTwitterを始めたのは2012年、日本語版のサービス開始から見ても遅れ馳せのスタートだった。半年…は我慢できなかったので3ヶ月ほどROMったりふぁぼったりして、それからぽつぽつとつぶやき始めた。
つぶやき。
そう、みんなつぶやいていたんだよな、と思う。それぞれの生活の中で、呼吸をするような自然さでつぶやいていた。Twitterは誰の目を気にすることなく息をつけるひとりの場で、それに目を止めた誰かが言葉を返してくれることもある、ゆるい繋がりの場でもあった。「ふろりだ」「ほかてら」、「いってき!」「ふぁいてら!」なんて意味のないやりとりにこそ意味があって、体温がある。あたたかい居場所だった。
そんななんでもない感がよかったのに、企業や有名人がこぞって告知媒体にし(ここまではいい)、コロナ禍で相互監視ツールに化け、異論がゾンビだらけのバトルコロシアムX(PvP of social medi)に姿を変えさせ、果ては生成AIの無法地帯へ……。
幾度と思う、今のXでもはや何をつぶやいたらいいのだろう?
投稿は素材や数字でしかなくなって、それでなくとも世間的な価値観の過渡期、ユーザーは冷笑と炎上の相手を虎視眈々と狙っている。誰に届かなくてもよかった声は、よりによって!という誰かにだけ届いてしまいそうな気がする。知らない人と画面越しに喧嘩したいとは思わないのに、今のXを眺めるうちに他人の思考や価値観をジャッジする意地悪な見方が身についてしまって、所詮同じ穴のムジナかと自分の悪性にも絶望する。
Twitterのことが好きだったし、そこにいてどうでもいいことを無邪気に呟いていた誰かのことが好きだった。世間の目とか評価とか何も気にせず、今まさに自分の日常を等身大で生きていたあなたが、そしてそんな自分自身のことも。
ブルスカのフィードからしずインの記事を見ているときに(ああそう、こういう感じ)ってTwitterの空気感を思い出す。あなたはそこに生きている、誰におもねることなく書いている。でも、「なう」ではないんだよね。
探し求めた旅の果てに、幸せがすぐ傍にあったことに気が付く「青い鳥」。
変わらないものはないと知っている。時代の変化も技術の革新も止まらなくて、どんなに気持ちが追いつかなくても、どこかで折り合いをつけて付き合っていくしかないんだろうと思う。
だからって、一方的に奪われるのは違うじゃない?かえしてって言いたくもなるのよ。
クリスマスからなんでもない日に変わっていく時計を見て「よるほー」が頭に浮かんだ。Xで検索してみたら、午前0時の習慣はまだ生き残っているようで、それに少しだけ救われた気がした。
泥沼で足掻く人、新たな居場所を探す人、ただ静かに立ち去る人。幸せの青い鳥の記憶を持つ限り、どの選択も等しく苦いものだと思うから。
誰にとっても、あなたの日々と言葉を託す場所が安心できる場所でありますように。あなたがきちんと尊重されますように。
誰に届かなくても、今ここに、つぶやいておく。