世界のはなし 続き

しずむ
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公開:2026/1/18

以前「世界にあんまり興味がない」と書いてからずっと考え続けていた。ここに思いを置いておくと、もう少し先に考えが届く感じがする……届いてしまう、という方が現状に近いかもしれないが。一度自分の外に出すことで納得したはずなのに、そのことをきっかけに新たな切り口での自問自答が始まる。お前はそれでよかったのか、と。問い質す自分の声のまま、一生、考え続けている。

自分に嘘がつけないたちなので、ここに書き残してあるのは取り繕わないわたしの本当だ。だから「世界にあんまり興味がない」も、どうしようもないくらいに本当。

あの日やりたかったのは、わたしの手の届く範囲を見つめ直すことと、未知に触れたい自分を認めてゆるすこと。多分それだけ。等身大の営みをしていたにすぎない。でもそれでよかったのか?……それだけで、本当に、よかったのか。

世界は一生きな臭い。どころか、紛争は今まさにそこここで行われている。利益やプライド、あるいは征服欲のための一方的な攻撃で、今日も誰かが傷つけられ、たくさんの人が苦しんでいる。明日は我が身と思いながら生きている人が、死んでいく人がいる。

それを少なからずわかっていて「興味がない」なんて書いてしまうのは、用いた文脈や意図は違えど、ものを書く者として軽率で誠実さが足りない態度だったと思う。加えて成人の日にそれを晒しているのがまた……己の思慮の浅さと未熟さを上塗りしていて心底までに情けない。

それにきな臭いのはなにも海の外に限った話じゃない。日本だって大概カスと書いたのはこの不景気や先の見えない未来への不安のせいもあったけど、なによりは他国や誰かと争う方向へ歩を進めようとしているこの国を恐ろしい気持ち悪いと感じていたからでしょう?ちゃんとわかっていたくせに。

政治とは、なんだか上手く向き合えないまま生きてきてしまった。先人が勝ち取って残してくれた権利だから、意思表示だから、選挙だけは欠かさず行くけれど、直前に慌てて候補者を調べて挑むこの付け焼き刃の行為にどれくらいの意味がある?とも思いながら投票する。

かといってずっと政治のことを考えていられるほど賢くないし、毎日の生活で手一杯だし疲れてるしキャパもない。ついでに興味もない。信を問うって言うけれど、国民のことなんか考えてないじゃんって不信感だけがある。わたしみたいな人、少なくはないんだろうなと思う。思うけれど……。

「もはや戦後ではない」というフレーズが『経済白書』に綴られて早七十年。本来警句であったはずのものが戦争からの復興終了宣言として持て囃された時代を経て、改めて警句としてたち現れてきた感がある。今の空気感はもはや戦後ではない。もはや戦前のそれになりつつある。

以前、第三次大戦が起きてしまった後の日本が舞台となった芝居を見た。中身のほとんどは覚えていない。けれど主人公のとある台詞だけが、幾度と脳裏に甦って響く。

「俺達は、無関心だった責任を取らされたんだよ」

無関心の責任を、無関心だったわたしが取らされる分にはまだいい。でも本来関係ない人にこそ被害が及ぶってこと、耐え難い苦しみが長く続くこと、今の世界を見ていればよくわかる。

これからを生きる子どもたちが、どうかこれからも戦後を生きられるように。興味がないなりに、でもせめて世界に向ける目は閉じずにいよう。賢くなくとも考え続けて、昨日の自分より少しくらいよい選択ができる人間でいたい。

反省と戒めとして、記す。

@blueish
すなおなきもちでいたいけど、多分たくさん嘘もつく