2025年という年よ

cordx56
·
公開:2025/12/31

幼い頃、年の瀬なんてものは何も特別じゃなく地球は回っているのに、人々はなぜこれほどまでに年の瀬であることに意味を見出すのだろうと思っていた。今となれば、1年という長さが、過去を振り返ったり、何かに区切りをつけるのにちょうどいい長さで、人々はそれをするタイミングを欲しているのだろうとわかる。

2025年は私にとって忘れられない年になるだろう。少なくとも、この10年間の中では最も激動の年であった。


2025年の始めに書いた記事を、多くの人に読んでもらった。

これは静かな慟哭であった。声にならない泣き声を、ただコンピュータにぶつけて、インターネットの海に放流しただけのことだった。それでも、多くの人がコメントを寄せてくれた。私にとって、それはある種の救いであったのだろうと思う。

前述の記事を書いて数日後に、祖父は鬼籍へと入った。

祖父はわがままな人間だった。親族一同がそう言った。母や私が家を訪れると、笑顔でおお、とだけ挨拶して、自分の自慢話を一通りして、それが終わると「早く出て行け」と言わんばかりに機嫌が悪くなった。

そんな祖父が亡くなる数日前、まともにが会話できたのはその日がほぼ最後だと聞いているが、私は祖父に会いに行った。

誰だったか、周りにいた人に促され、まだ取れる見通しも立っていないのに、「もう直ぐ博士号が取れるよ」と嘘をついた。私を含めてみんなが、祖父が私が博士号を取る日のことを楽しみにしていることを知っていたからだ。

祖父はもう既にほとんど動けなくなっていたが、私の顔を見て、手を動かして私の手を握った。柄にもなく、「ありがとう」と言って微笑んだ。そして、天を仰いで、目を見開き、何かを見据えた。私はあの時、祖父が「覚悟を決めた」のだろうと思った。医師会の副会長を務め、叙勲を取るまでに偉大だった祖父の、華麗で儚い人生の最期であった。


祖父が亡くなって少しして、私は研究で作ったソフトウェアのフィードバックをもらうため、RedditやXにそのソフトについて書いた。結果、大きな反響を呼んだ。世界中のエンジニアが使うサイトであるGitHubで、トレンド4位となった。凄まじいことであった。様々なところで一躍有名人となった。国内学会どころか国際学会で名前が知られているとわかった時は衝撃だった。

そこからは怒涛の日々であった。たくさんのコメント、バグ報告、修正依頼、パッチ投稿を受け取った。GitHub Sponsorsでスポンサーがついた。いろいろなことが起きた。

大変だった。研究、仕事、OSS。間違いなく過酷であったが、それをこなす事が大きな実を結んだのだと、今になればわかる。

そのソフトの基盤を作った、昨年の徹夜漬けの3週間が救われた瞬間だった。


それからまた少ししてからのことである。自分の現インターン先は就活サイトを運営しているのだが、CTOに勧められてサイトに登録して、就活を始めてみた。私は所謂27卒であったから、ちょうど就活の時期だったのだ。

自分は就活に前向きではなかった。前述の記事に書いたように、私は就活で痛い目を見たことがある。それに博士課程学生なのだ。普通の就職の道からはとうに外れていると思っていた。

ある日大学の研究室で研究をしていると、就活サイトからスカウトメールが届いた。大手メーカーのR&D部門のインターンへのお誘いであった。専門分野からも近くはないが遠くはなかった。すぐに承諾し、無事インターンに参加できることとなった。別の大手メーカー(というより今はSIer業がメインだろうか)のR&D部門からも誘いがあり、そちらのインターンにも参加することになった。

自分は所謂普通の就職、普通の人生を諦めていたから、急にチャンスが訪れたことにまずは困惑したのを覚えている。それでも、私に価値を見出してくれる人がいるかもしれないという事実は、無条件に私を励ました。幸運であった。今でも、私を見つけ出してくれた人に感謝している。


その少し後に、国際学会に出していた論文がacceptとなった。お恥ずかしながら、博士課程にまで進んでおいて、これが人生で初めての査読あり論文となった。

国際学会では何人か友達と言える人もできた。国内外の以前お世話になった先生方にも挨拶できた。発表は大きな障害もなく終わらせることができた(少し事故が起きたが、これは笑い話なので、いずれ話すだろう)。

おおよそすべてのことがうまくいった。実は異国の地に一人で降り立つのはこれが初めてであったのだが、特に事件事故もなかった。


その後、複数のインターン先からオファーを受けて迷っていたが、つい先日、受け取ったオファーのうち1つを承諾し、それ以外を辞退して、一旦就活に区切りがついた。

人生2回目の内定承諾となった。


今年は激動であった。それはほとんどが幸運なことの連続であった。運が良かった。母親はよく「我が家の人間は運がいい」と言った。祖父も非常に運が良かった。だから、スピリチュアルとかは信じていないが、祖父の亡くなった今、私はこの幸運への感謝を、祖父に伝えるようにしている。

ずっと絶望に飲まれていた。苦しい数年を過ごしていた。狂った歯車から目を背けていた。でも、そんな日々を笑い飛ばせるかもしれない可能性を手にしたのだった。

苦しみに、絶望に直面している人に、簡単に励ましの言葉なんてかけられない。私だって、これから先どうなるかなんてまだわからない。それでも、私の周りの人々と、ここまでこの記事を読んでくれた皆様には、少なくとも幸せになってほしい。これは素朴な気持ちだ。

過去を大切に、未来を見失わないでほしい。これは祈りだ。自分勝手な私の、年末のお願い事だ。