この話の続きになる。
RTTTの好きな部分はたくさんあるが、中でもひとつ抜けて挙げるなら、背景的に描かれている「勝利条件」だ。
なお、ここから先は私個人が観た感想と解釈でしかないことを念頭に置いておいてほしい。
ここで話す「勝利条件」とは、内面的な話、つまり精神的なものだ。
クラシック三冠は一生に一度、その年にしか走れない特別なレースである。
デビューが遅れて走れなかった子もいれば、(現実で言うなら)賞金が足りなくて出走権を得られない子もいる。
今年負けてもまた来年……とはいかないレースである。
だからこそ、盛り上がるし、特別感もある。
古馬になってからどれだけ活躍しても、クラシックの冠を持たなければ無冠と言われることもあり、逆に古馬になってからどれだけ成績が伸び悩んでも、クラシックで得た冠は一生ついて回る。
栄誉ある呪いの冠のようなものだ。
RTTTは、その冠を戴くのには何が必要なのか、を丁寧に描いているように感じるのだ。
では、その「勝利条件」とは何か。
つまるところ、自分のために走れるか、自分が勝つために走れるか、だと思う。
その後、一生ついて回る冠なのだ、誰かのためではなく、自分のために走れる子でなければ戴くことはできない。
だから、最初に勝ったのは「自分が」勝つために(冠を戴くために)戦ってきたオペラオーだった。
次に勝ったのは、(あの子のことを忘れてしまうほど)「自分が」ふたりに勝ちたいと思ったアヤベさんだった。
そして最後、「自分の」走りで勝ちたいと言ったトプロが菊花賞を制した。
この描かれ方が、私がRTTTに惹かれた最大の理由だ。
ダービーに負けたあとも練習に励むトプロを見て、トレーナーがぽつりとつぶやく「お前はいま、誰のために走ってるんだ?」という言葉(うろ覚えだが……)が、とても好きだ。
配信版と再編集版では違うところがけっこうあるらしい。
見比べたいので、ぜひどちらも収録したブルーレイを出してほしい。