うた子さんへ
早いもので、この往復書簡は5往復目に入ります。文字数を合わせると2万字くらいになるのでしょうか。こんなにしっかり続けられるとは、始める前には予想していませんでした(わたしはいろいろなことが、ほんとうに続かないのです)。あいだに編集者がいて取り仕切ってくれているわけでもなく、お互いの意思でこの試みを続けられているのは、なかなかすごいことのように思います。
最初に、いちばんお伝えしたいことを。わたしの書いた小説に感想を送っていただき、ありがとうございました。とても嬉しかったです。安心したし、自信になりました。わたしにとっては、単に小説を書いて発表すること以上に、「自分がこれを書きました」と紐づけて公開することへの緊張や不安があったのだと思います。さんざん文章を書いて公開してきたし、短歌ならば気軽にSNSへ投稿してきたのですけどね。
小説を書き上げた翌日に、うた子さんとの往復書簡をまとめながら読み返していて、驚きました。小説に書いたのと同じことが往復書簡にも書かれていたからです。わたしがふだん考えていることを小説の登場人物に語ってもらっている感覚はあったのですが、こんなに影響を受けていたのか!と思いました(自分に自分が影響を受けるというのはちょっと変な言い方ですが)。この往復書簡を書いてきた時間がなければ、今回の小説は書けませんでした。その意味でも、うた子さんにあらためてお礼を言いたいです。ありがとうございます。
いま、また別の小説の準備を進めています。これが楽しいんです。たくさんの人たちが創作をし続けている理由がようやくわかりました。楽しいんですね。次は前回とはだいぶ違ったものになる予定ですが、それでもやはり、往復書簡などを書くのに使われてきた時間が共有されるのだと思います。
わたしの住んでいる場所は坂道が多く高低差が入り混じっていて、歩道をふつうに歩いていると思ったら陸橋のようになっていたり、切り立った崖のような地形が道のすぐそばにあったりします。だからでしょうか、ここに住むようになってから植物をまじまじと見ることが増えました。街路樹のイチョウの木は地面から見上げるのがふつうですが、陸橋に立って見ると、枝から葉っぱの生える様子がすぐ近くでわかります。これまでは秋になって色づいた葉が落ちる頃にしか意識しなかったのですが、春から初夏のイチョウもおもしろいものです。あるいは逆に、普段は見下ろしているような地表付近で生息している草花を、目線の高さで見られることもあります。最初のころの往復書簡に写真を載せた、地面のすぐの高さで咲いていたサクラの花のように。
なにも教訓めいたことを言いたいわけではないのですが、目線の高さを変えることで見えるものは変化するのだなと思います。すみません、教訓めいたことを言ってしまいました。
トリミングしていてわかりにくいですが、この写真はわりと低い位置から見上げるように撮影しています。駐車場に停まった自動車なんかも普段は何気なく見ているけれど、下から見上げるとずいぶん印象が変わるのがおもしろいなと撮りながら思いました。
前回の手紙に書いていただいた絵本についてのお話を読んで、不思議な気持ちになりました。
たぶん、ちょっと変なことを書きます。
わたしにとっての絵本の思い出は、自分自身が本を読んだ記憶であり、母に読んでもらった記憶でした。わたしは『三びきのやぎのがらがらどん』が好きで、田んぼの脇の水路に渡された板をトロルのいる橋に見立てて、母と一緒に「"がらがらどん"ごっこ」をしたことを覚えています。年の離れた弟と妹がいるので、わたしが彼らに読み聞かせをしたことはあったのかもしれませんし、「"おおきなかぶ"ごっこ」を彼らとしたことがあったかもしれませんが、そうした記憶はほとんどありません。どうだろう、もしかしたら本人たちはなにか覚えているのかもしれませんが。
わたしにとっては、絵本は「自分で読んだもの」であり、「母に読んでもらったもの」でした。うた子さんにとっては、「自分で読んだもの」であり、「子どもたちに読み聞かせたもの」なんですね。
ものすごく当たり前のことなのですが、うた子さんとわたしは違う人生を送っています。わたしは小さい頃に『せいめいのれきし』をたぶん読まなかったし、『魔女の宅急便』にも出会わなかった。もしも子どもがいたら読み聞かせをしたかもしれないけれど、そうではありませんでした。わたしたちは違う時間に、違う体験をして、違う人生を送っている。それでも、いまこうして同じ絵本の思い出だったり、生活のなかで感じることだったりを通して、言葉を交わしている。繰り返しになりますが、それはとても当たり前のことです。でも、それってなんだか、すごいことだと思います。
この手紙を書く前に、本屋をいくつか回って『せいめいのれきし』を探しました(何年か前に改訂版が出版されていて、おもに恐竜についての記載が新しくなっているそうです)。読んだ思い出はないのですが、絵の左下にいる講談師のような指揮者のような人にはすごく見覚えがありました。ページをめくっていって現代に近づくうちに気づいたのですが、作者のリー・バートンは『ちいさいおうち』を描いた人だったんですね。こちらは何度も読んだのを覚えています。
英語の勉強を始められたとのこと。素敵です。わたしも2年ほど前に『英語のハノン』の初級編に取り組んだことがあったのですが、まったく続きませんでした。うた子さんは続けるのが得意そうなので、うらやましいなあと思っています。
実は、2年前にわたしが英語の勉強をしてみたのは、うた子さんが書かれていたように「普段使わない言語を学ぶことでモノの見方や考え方をガラッと変えてみたい」というのと同じ理由でした。
その頃、短期的なプロジェクトとして、英語を使う仕事に関わっていました。英語と日本語を使いこなせる人が複数いたので、わたし自身は翻訳アプリとにらめっこしていても一応なんとかなりました。ただ、集中的に英語での会話を聞いたり英文メッセージを読んだりすることで、わたしの思考がおおいに影響を受けたことに気付いたんです。
当時のブログに、こんなふうに書いています。
特に感じたのは、ひとりで思考しているときに「 if 」があらわれる位置の変化だった。英語の if はあらわれるのが速い。日本語で思考していたときとは違う手順が強いられるように感じた。
あるいは、副詞などによる修飾表現のバリエーションも増えた。増えたというか、意識したことのない修飾語が選択されるようになった。
母語ではない言葉に一定期間ディープに触れることによって、自分の思考がこれほどドラマティックに変化するとは知らなかった。自分の思考がドラマティックに変化することがこれほど面白いことだとも思わなかった。
なんだかおもしろいことを言ってますね。そう、すごくおもしろかったんですよ。残念ながら、あっという間にその感覚は忘れてしまったのですが……。
この文章は、こう続きます。
たとえば複式簿記を学んだりプログラミングを習得したときにも似たものを感じたことがある。変数を1ずつ増やしながら繰り返すFOR LOOP文を使えるようになったとき、世界の見え方はたしかに変わった。人工言語で起こることは、自然言語でも当然起こる。
もし、いま、小説を書くことのおもしろさにハマっていなかったら、英語で思考することのおもしろさに再度飛び込んでいたかもしれません。いまは、小説を書くという、普段とはすこし異なる思考の仕方がおもしろい。そんなに器用ではないので、英語の勉強はまた今度にしておきます。そのとき道連れがいたら前よりも遠くまで行けそうな気がするので、うた子さんには3ヶ月と言わず続けていっていただけたら嬉しいです。
今週の『虎に翼』の話を少しだけ。大庭家の相続争い、ラジオ出演とコンサート開催、そして花江さんの週でした。
はるが亡くなったあとの猪爪家には「大人」がいなくなってしまった。はるの存在はとても大きなものだったから、その不在はとても目立ってしまう。寅子は家計を支えるために外で頑張って働いているし、花江は精いっぱい家事や育児に取り組んでいる。寅子の活躍の成果はわかりやすくて、家族みんなでラジオを聞いて「寅ちゃん、すごい!」と認められるけれど、花江さんの頑張りが言葉にされることはなかなかありません。寅子が桂場や道男に対して「自分の母親は素晴らしい女性だ」と口に出してきたこととの対比にもなっているようで、ちょっと残酷さも感じます。
金曜の回で、梅子とふたりで話せたのをきっかけに花江は荷物をすこし降ろせたようだけれど、それですべてが解決するのかどうか。家庭を健全に運営するために必要なものはとても多くて、常に充足させていることは難しいのかもしれません。感謝を伝え合うだけでも、作業を分担するだけでも、気晴らしをするだけでも、外のコミュニティに交友関係をつくるだけでも、たぶんわたしたちは満たされないことを、わたしたちは知っています。難しい。難しいですね。
長くなってきたので、今日はこのあたりにします。今度よかったら種田山頭火のことを聞かせてください。
それでは、また。