[往復書簡]フレンチトーストの日

ffi
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うた子さんへ

こんにちは、フジイです。

まずは、この企画に参加していただき、ありがとうございます。「往復書簡みたいなことをしたい」という記事を公開したとき、お相手をお願いしたいなとイメージしていた方が何人かいたのですが、その筆頭にいたのがうた子さんでした。実現して嬉しいです。その記事でも書きましたが、この企画のいちばんの問題は「さいしょに声を掛けるのが気恥ずかしい」ことですね。普段のブログやニュースレターとは違って、公開するとはいえ私信のように書くのは、なんだか照れくさい。どんなふうに書いたらいいのか、心の持ちようがちょっと難しいかもなと感じています。

初回なので、この企画についてもう少し書いておきます。

「往復書簡をはじめよう」という記事にも書いたように、私信の連続であることを意識した文章にしたいなと思っています。このところ「この話を書いておこう」と思っても書き始められなかったり書ききれなかったりすることが何度かあって、それは「誰に向けて書くのか」が定まっていないからかもしれないなと思ったのでした。聞いてほしい話があったとき、それは必ずしも多くの人に届けたいわけではなくて、わたしの話を落ち着いて聞いてくれる何人かだけで構わない、そんなふうに思ったのです。そういうスタンスから話を始めていけば、もっとたくさんのことを書いていけるのかもしれません。

更新頻度というか、返信のタイミングはどうなるでしょうね。ふつうのメールのやりとりであれば、1日と置かずに返信するかもしれないけれど、この企画では数日くらいはあいだを開けるといいのかな、と思います。まったく締切がないのも続かなそうなので、2週間くらいが目安かなあと思っています。

タイトルは、今回はタグのように[往復書簡]と入れておきました。今後はなくてもいいかもしれません。わたしはひとまず、この「しずかなインターネット」で他の投稿もしながら書いてみようと思っています。

なんの話から始めようかといろいろ迷ったのですが、ちょうど話したい話題がありました。

米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」についてのインタビュー記事です。取材しているのは柴那典さんで、さすが、ちゃんとしているなあと思いました。いいインタビューには、いいインタビュアーがいます。

記事のなかで米津さんは、「フェミニズム的なトーンが全体にある物語」の主題歌を、男性である自分がどのように制作すればいいのか考えた……という話をされています。わたしがしばしば感じている問題意識と近いことが語られていて、嬉しいというか安心したような気持ちになりました。

どんなふうに整理したらいいかわからなくて、なんとなくずっと困っていることが、「結局のところ、自分はマジョリティ側にいる人間だ」ということです。わたしは健康な男性です。うまくいっていないこともあるけれど、大雑把にいえば恵まれています。わたしにはなにが言えるのか、なにを言っても構わないのか、言うべきではないのか。

答えが出るようなことではないでしょうし、考えながら行動していくしかないのだけれど、その気持ちを持ち続けることも簡単ではないんだよなあと思います。疲弊したり飽きたりしてしまわない範囲で、やっていきたいと思っています。

ところで、『虎に翼』はほんとうに素晴らしいドラマになっていると思っていて、それは何よりも「おもしろい」ということによって担保されていると思います。おもしろい。そのうえで、扱っているテーマや切り口が鋭く、広く深く届いている。おもしろいだけがあって中身の薄いものだって楽しいけれど、それは楽しいだけになってしまう。一方で、テーマが先行するだけではさほど届かない。おもしろいって大事だよなと、あらためて気付かされた作品です。これからも楽しみですね。

桜の木の根本近くから咲いた花

大阪・扇町公園にお花見がてら散歩に行ったときの写真です。地面からすぐの高さのあたりからも花が咲いていました。周りを見ると、下の方にも花が咲いている木と、そうでもない木があるようでした。あまり気にしたことなかったな。一様に思える桜の木も、それぞれ違っている。

つい先日、妻と居酒屋で飲んでいたときにこんなことがありました。

近くの席の人がなにやら本を読んでいて、それとなく注目していると『センスの哲学』というタイトルの本だとわかりました。わたしはその書名には聞き覚えがあったものの、著者が誰なのかは思い出せませんでした。ということは、有名な人の本じゃないんだろうな。そう思っていると、妻が「あれ、千葉雅也の本だね」と言ったのです。わたしは、そんなはずはないと思いました。だって、わたしにとって千葉雅也という作家は、新刊が出たらとりあえず買おうと思うくらいの存在です。そんな人の新刊なのに、書名だけ覚えているなんてことはおかしい。どこかで書名を認識する機会があったなら、同時に著者まで認識しないわけがないのです。

この驚きを妻に説明したのですが……、なかなか伝わりませんでした。妻はわたしが「好きな作家が『センスの哲学』などという微妙なタイトルの本を出すなんてショックだ」と思ったのだろう、と認識したそうです。いや、千葉さんは意外とそういうタイトルつける人だからそれはいいのよ。そういうことじゃなくてね……。

だいぶ酔っ払っていたこともあり、説明はかなり難航しました。ぜんぜん伝わらないな。こちらも、自分の説明がどういうふうに聞こえているのかちゃんと把握できていません。お互いに「相手はこういうふうに認識しているのだろう」という思い込みがありました。それを取り除くのは、いつも顔を合わせている相手であっても(あるいは、だからこそ)、簡単ではない。複雑な状況を言葉だけで説明するのも簡単ではないことです。

「こりゃあ、往復書簡も難しいんじゃない?」「うむ」

簡単ではないとは思いますが、案外おもしろいことができるかもしれません。お互いのことをよく知っているわけではない相手とのやりとりだからこそ、話したいことを探しながら、伝わる言葉を探しながら、いろいろと書いていけたらいいのかなと思います。

というわけで、これからどうぞよろしくお願いします。

@ffi
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