小説を書きたいと思いながらもぜんぜん書き方がわからなかったのだけど、2週間くらい前になって急に書けるようになった。
理由ははっきりしていて、「自分が書こうとしていること/書かないようにしたいと考えていることがあるが、それを成すことは不可能なので、じゃあ別になんでもよいのでは?」みたいに思い至ったからだ、簡単に言うと。
もう少し具体的に言うと、たとえばわたしは「わたし」を視点人物にしない方法での文章の書き方をイメージできていなくて、それは「わたし」以外の人間の心情を言語化できることを信じられていなかったからっぽいのだけど、しかしそれでは(つまり、わたし自身を語り手とするフィクションしか書けないのであれば)わたしが書くものはエッセイとか批評とかになるのではないのかと思い、ということはその限界があるならば創作のすべてが無理なのではないかと思ったのだった。
しかし、そんなことはないだろうと思う。「わたし」自身を主人公のようにした「私小説」であってもそれはフィクションになるはずで、ということは、わたし自身ではない想像上の人物を主体とするフィクションもやはり私小説のような形を取ることができてもよさそうだし、というかおそらく世の中のフィクションはそのようにもつくられているのではないか。じゃあ自分もそれでできるのでは?と思った。
もう少し違う言い方をすると、わたしは女性を語り手として書くことをイメージできなかった。わたしは女性ではないから。でもその理屈をOKとしてしまうのであれば、わたしは「わたし」以外の語り手を得られないではないか、と思った。この説明のほうがわかりやすいか。
とにかく、上記のようなことにふと思い至り、なんだか急に、いろいろな人格や思考を創作に仮託するみたいなことのイメージが自分のなかで分かったような気がして、たぶんこういう感じで書けばいいんだろうなというのが書けるようになった。文字数はまだぜんぜん書いていないし、どういう展開をするのかもわかっていないが、なんというか「ノリ」みたいなことが分かった気がする。逆上がりができたとか自転車に乗れたとか、そういう感じ。まだ大車輪はできないしツール・ド・フランスにも出れないが、とりあえずできた気がする。
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もうひとつ、歌舞伎の「女殺油地獄」を観ていて、この演目がかつて実際に起った事件をもとにしているのだという解説を読んでいて、そんなことしていいんだったら、わたしがなにをしてもとりあえず別になんでもいいか、と思ったのだった。とりあえずは。
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下記は、以前の「書けなさ」の記録。