うた子さんへ
お手紙ありがとうございました。
今日は5月4日。ゴールデンウィークもそろそろ終わりを意識し始める頃です。現在のわたしの働き方はちょっと変わっていて、パートタイムの仕事をしながら不定期に依頼を受けて原稿を書いたりしているのですが、ここしばらくはだいぶのんびりしていました。仕事がないのは気楽でいいんですが、だんだん心配になってきます。このまま暇だったらどうしよう。そうこうしているうちに新しい仕事をいただいたりして、もちろんありがたいんだけど、まさに不安定だよなあという感じです。暇なときには、個人的なプロジェクトをちゃんと進められたらいいんですが、なかなか……。
そういえば、書評家の三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という新著が話題になっていますね(ウェブ連載のときに何度か読んでいて、本は未読です)。ほんとにそうだよねーと思いつつ、「でも、暇すぎるときだって本は読めないんだぜ」と思ったり。ちょっと忙しくしているくらいのほうが、なんとか時間を捻出しながら映画を観に行ったり本を読んだりできる気がします。
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Blueskyにも書きましたが、さいきん『アンナチュラル』を見始めました。おもしろい! 重たくて一気にはとても見れないけど、すぐに完走しそうです。
こんなおもしろいドラマをどうして意識していなかったんだろうかと不思議に思ったのですが、放送当時のわたしのTwitterのログを見てみたら、ちょうどテレビに関心がない時期だったようです。そのころのわたしは、仕事はわりと充実していて、けっこう本を読んでいて、アニメ『宇宙よりも遠い場所』を観ていました。ほんの6年前のことだけど、ずいぶん昔のように思います。あのときの連続でいまの自分があるけれど、当時といまの自分はまったく違う。
数年前のことも覚えていないのだから、それこそ「100年先」にはいろんなことは忘れられているのでしょう。
怒ったり悲しんだりするような出来事も、とてつもない先になると何も残っていない。すごくちっぽけな出来事だなと思える。すごく安心できるというか、救いを感じるんですよね。しかしそれと同時に、100年たっても何もかもが消えてなくなるわけではなくて、誰かが残したものを受け取って、それをまた自分たちが誰かに託していく。その連続によって生活とか文化とかって連続していくものだと思う。そういうのが美しいよな、って。
米津玄師さんが「あさイチ」にインタビュー出演していたとき、こんなふうに話されていました。
何も残っていないことを「安心できる」「救いを感じる」というのは、わたしにはあまりない感覚だったのですが、たしかにそうだなあと思います。わたしは、自分がされた嫌なことや、自分がしてしまった失敗のいくつかを、たぶんずっと覚えています。不意のタイミングで思い出してしまい、それに驚いてちょっと声を出してしまったり。後悔であったり恥ずかしさであったり悔しさであったり申し訳なさであったり、そういうことは、遠い先になればもう残っていないのでしょう。そして、残るものもある。できることなら、できるだけいいものを残していきたいなと思います。
遠くまで届いたり残ったりするもののといえば、文学でしょうか。大河ドラマ『光る君へ』はおよそ1000年前に生きた紫式部たちの物語です。ドラマのなかではまだ『源氏物語』は書かれていませんが、たくさんの和歌や日記が当時の人たちの心を動かしていた様子が描かれます。1000年前の心のほとんどは残っていません。残るものもある。
「1000年」という言葉には、ちょっとした思い出がありました。以前、つくば市に住んでいたときに通っていたコーヒー屋が「千年一日珈琲焙煎所」という名前なのです。穏やかで居心地のよい店で、哲学や文化人類学の本をよく読んでいる商売っ気のない店主がいて、ときどき話をしました。店名の由来は、こんな言葉からきています。
Do all your work, as though you had a thousand years to live, and if you were to die tomorrow.
千年生きるかのように、明日には死ぬかのように、やることをやる。指針にしていた言葉ですが、この何年かはすっかり忘れてしまっていました。思い出せてよかった。
千年も生きるというイメージはちょっと難しいけれど、平安時代の和歌たちはたしかに生き続けているなあと思います。たとえば、ずっと昔に生きた人が、「世の中にもしも桜がなかったら、春はもっと心穏やかに過ごせるのにね」なんてうたっている。その歌が読み継がれている。残るものは残るんですね。
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紹介していただいた(G)I-DLEのこと、知りませんでした。教えていただきありがとうございます。カッコいい! シンプルに、カッコいいなと思いました。知らない音楽がまだまだあります。そういえば、日プというものがあると知ったのは、うた子さんのBlueskyがきっかけだったかも。世の中にはたくさんの文学や音楽や映像作品や、そのほかにもいろいろなものがあって、とてもすべてを追いかけられないけれど、気の合う人たちの好きなものは少しずつでも楽しみたいものです。
それにしても、と思います。共通点のある人、話のトーンが合う人、違うところもいっぱいあるけど話を聞いていて落ち着ける人、そういう人って、想像以上にたくさんいたんだなあと、Blueskyを始めてからよく思います。たぶん、お互い10年単位でインターネットでいろいろ経験してきて、新天地であらためて楽しくやっていこうと考えていたから……という背景はあるのでしょうけど。わたしはSNS上でリプライを送り合うのは、実はそんなに得意ではありません。対面での会話もそんなに得意ではないので、関係あるのかもしれない。こうやって往復書簡という形を取ると、落ち着いて話ができるのでいいですね。
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パズルみたいな手順を越えて連休の朝にベーコンエピの現わる
せっかくの連休ですから、しばらく休んでいたパンづくりを再開するのがいいなと、まずはベーコンエピをつくってみました。意外としっとり柔らかめの焼き上がりでしたが、これを自分でつくれたというのは嬉しいですね。工程はまあまあ面倒だし、洗い物もたくさん出るし、あっという間に食べ終わってしまうけど、楽しい瞬間がたしかにあるのでOKです。
イメージソングはもちろんTOMOOの「ベーコンエピ」でした。
今回は、なるべく気の向くまま思い出すままに書いてみました。「大阪」の話ができなかった! また今度させてください。
それでは、また。