4ヶ月ほど前、このウェブサービスができたばかりのときに書いた文章がある。
文章を書くときは、いまの自分の思考を整理するために書いている。書かれた文章は、未来の自分が読み返すこともできる。かつての自分はこのようなことを考えていたのだと時間を超えて知るための装置。
上掲の文章のタイトルである「速くないインターネット」という言葉は、批評家の宇野常寛さんが使う「遅いインターネット」という言葉から連想して使っている。わたしは宇野さんの議論をほとんど読めていないので直接は借りられないし、それに、「遅い」と「速くない」には違う意味がある。
インターネットが「速い」と、わたしたちは自分の時間を見失う。情報が過剰に流れ込んできて、その速度に対応することを優先し、見なくてもいいものを見る。言わなくてもいいことを言う。感じなくてもよかった強い感情を抱く。
自分から遅くなろうとすることは難しい。もっと速く、とわたしたちは思う。速くなることは最初は楽しい。新しいものに出会うのは楽しい。楽しいことからは離れにくい。
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Blueskyの速度が急激に上がってから1ヶ月もたたないうちに、以前からこのSNSで遊んでいた人のうちの何人かが、速さに流されて姿勢を崩してしまうのを見たように思う。わたし自身もそうだ。
あまりに急な変化だったからだろうか。それとも、ちょうどいい速さではないからなのだろうか。
速度のある場所で自分だけを遅くすることは難しいけれど、速くない場所に身を置いていることはそこまで難しくはない。
本を読む。ペンで紙に文字を書く。パンを焼く。裁縫をする。ストレッチをする。ジョギングをする。家族と話をする。祈りの時間をもつ。SNS以外の場所に、自分の言葉を書く。そうした場所に書かれたものを読む。
速いインターネットは、悪い場所ではない。たくさんの素晴らしいものをわたしたちにくれる。そうではないこともある。
Blueskyに関していえば、公式アプリではなく「Ucho-ten」というサードパーティサービスを使うと、速くなさを手に入れることができるだろう。
冒頭においた文章でも書いてあったように、この「しずかなインターネット」も速くなさを感じることのできるサービスだ。
ニュースレター(メールマガジン)を書いたり読んだりするのもいいだろう。書いていると自分で決めた締切に追われることになるかもしれないけれど、それは速さからのプレッシャーとはすこし違うものだ。
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遅くなることは難しいし、たぶん、別に遅くならなくてもいい。
「速くなさ」を手にするためには、「速さ」に対して、みずから一歩でも二歩でも引いて、速さを相対化することが必要なのだと思う。それもきっと簡単なことではないけれど、たぶんできないことではない。