最近、やけに人の死を身近に感じる気がする。鳥山明先生だったりTARAKOさんだったり。
今日はうちの入居者様が、搬送先の病院で亡くなられたと聞いた。昨日の昼に様子がおかしくて119・救急搬送され、一夜明けた今日の昼ごろ、亡くなったという。彼女はまだ60代だったと思うけれど、対岸の火事ではないと思い知った。しかし、あまりにも早すぎる。父の死期が近いのもあって、正直精神的に参りそう。
誰かが生涯を終えることが、生きていれば誰にでも起こりうることが、どうしてこんなにも苦しいのだろう。昔好きだったカセットテープが経年劣化で聴けなくなってしまうみたいに、こんな風に、呆気無く終わってしまうのだ。哀しい・苦しい以外、どう表したらいい。
きちんと弔えれば良いのだけれど、喪うことの哀しみは、いつまで経っても慣れないものだ。大切だった人を亡くした哀しみから立ち上がり、居ないことが当たり前になってしまうことも、同様に哀しく思えてしまう。
それでも、故人の遺したものを、故人との想い出を、忘れぬようきちんと受け止めて、受け継いでいきたい。その人が2回めに死ぬときは、みなの記憶から忘れ去られたときだから。