このあいだ、自分の人生には 「好き」 が少ないという話を書いた。厳密に言うならば「好きにはなるけど 日常を揺らすほどの熱狂はない」 ってことなのだけど、じゃあどういうとき どんなふうに幸せを感じるのだっけ?……そんな至極単純なことがなんだか急に分からなくなり、しばし考えこんでしまった。
答えをもとめ潜るほどに何もかもが剥がれ落ち、心細くも広がってゆく重々しい空白の波。トンネルを抜けると雪国であった──そんなぽっかりとした最果てに行き当たったとき 「ああ」 と、そう思ったのだ。あるのは曇天と どこまでも続く雪道ばかり。その真白な地面をくぼます靴跡を、そんな会話を、わたしは探しているのだった。
わたしたちは大抵、趣味や仕事を通して他人と交流するけれど、それをぜんぶ脱ぎ捨てた 「生身」 の姿で相対すること。なんにも介在しない《あなたとわたし》。 靴底から立ち昇るひそやかな歴史を、互いが踏みしめた凹凸の名残りを、ただただ確かめ合うことに どうしようもなく胸が震えるのだ。
いつだってそう。濁りを抱えた結晶として、心ひとつであなたと会いたい。
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内側の住民であることを補強するだけになってしまった……それでは駄目だと書いたそばから。対人関係において、こういう話に需要がないことは知ってる。ジメジメしていて面白みに欠けることも分かってる。けれど、胸のなかの温度や湿度、針の振れ幅とそのテンポ、瞳を覆うレンズの色や 瞬きのたびに切れるシャッター。そんな互いの持ち物を分解しては比べてみたいと思ってしまう。わたしにとっての青が、あなたにとっては碧なのかアオなのか。あの尖って見えるものが、あなたにはなだらかに映ったりするのか。このチクリとした 1 の痛みが、あなたのもとでは 5 や 10 に増幅し響きわたってしまうだろうか。そんなことを事もなげに、けれど深々と、沈むように話していたい。それがわたしの好奇心です。
──そんなわけで、このあたりが似ているひとには全力で懐いてしまう (しっぽブンブン)。いつもは枯渇ぎみであるはずの積極性が漲ってしまい、自分を抑えるのに苦労するほどです……。
これは最近ハマっているローソンの冷凍マカロン。アイスとお菓子の中間みたい、冷たくておいしいの。急な来客時のちょっとしたおもてなしにも役立つし、飲んだあとのプチデザートとしても優秀。あたたかい部屋で冷たいものを食べるのって、なんでこんなに魅力的なんだろう。