Colin DeYoungさんとRobert Kruegerさんの論文。前回の論文の中で引用されていて読んでみたら,とても示唆に富む議論がされていた。今回も長くなるけどまとめてみる。
はじめに
精神疾患に関する科学文献において「精神疾患とは一体何なのか」という問いが取り上げられることは稀である。医学では科学的理論から臨床実践に発展することもあればその逆もある。その中で遅れをとっている分野もあり,そうした分野では,たとえ科学的に明らかに不十分であっても,かつての医学的分類の試みから受け継がれた公式な診断概念に理論が偏りがちである。精神医学がまさにそうである。
また,現存する数少ない精神疾患の一般理論が,主流の精神医学や心理学を取り巻く研究や理論に必ずしも影響を与えていないという問題もある。その最たる例がWakefieldの精神障害の有害な機能不全理論である。この理論は支配的でありながら,病態分類や病因に関する研究あるいは特定の障害に関する多くの理論にほとんど影響を与えていない。
Wakefieldの理論は,自然主義的要素(障害を客観的事実として規定する)と,価値に基づく要素(障害を社会政治的関心に基づく文化的構築物として規定する)を組み合わせたハイブリッド理論である。Wakefieldは「ある状態が否定的に評価され(有害とされ),かつ実際に生物学的に設計された(すなわち自然選択された)機能を果たすための何らかの内部メカニズムの機能不全に起因する場合,その状態は障害である」と述べ,さらに有害を「社会文化的基準によって否定的に判断されるもの」と定義した。この理論の自然主義的要素は進化的機能不全を前提としているが,この要件は科学的理論にとってハードルが高く,精神障害の研究に寄与していない。
DeYoungとKruegerが提唱するサイバネティックな機能不全(重要な心理的目標に向かって前進できない状態)では,精神病理と精神障害を明確に区別する。さらに,Wakefieldの理論よりもはるかに影響力のある「統計的逸脱」と「脳疾患」という発想とも区別する。
統計的逸脱
精神疾患に関する統計的逸脱理論(いかなる属性も集団の規範から過度に逸脱すれば病理的になる)は,不利な方向または機能不全の方向への逸脱を必要とする。となると今後は「不利」や「機能不全」の定義が必要になる。Boorseの生物統計学的理論は,障害とは生存や生殖を促進するあらゆるメカニズムにおいて(年齢や性別で層別化された)集団規範からの負の逸脱であり,それが現在の種に典型的な様式で生じているものであると規定している。この前半部にあたる統計的逸脱アプローチはメンタルヘルス研究に広く普及している。たとえばDSM-5といった診断基準では,明示的には言及していないが,各障害の中心的な特徴として症状の正常範囲からの逸脱が求められる。
精神疾患とは,精神機能の基盤となる心理学的,生物学的,または発達過程の機能不全を反映する個人の認知,情動制御,または行動における臨床的に意味のある障害によって特徴づけられる症候群である。(DSM-5-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル,p.13)
DeYoungとKruegerは,大半の研究が統計的逸脱に基づく定義を明示的に採用しているということではなく,むしろ,統計的逸脱が精神病理の主要な基準であるという前提が,精神病理の測定法(診断を含む)が通常どのように作成され解釈されるかに内在していると主張する。
近年では次元的アプローチへの移行も見られるが,統計的逸脱に依拠して精神病理を特定することの問題を解消するものではない。次元的アプローチは,障害のカテゴリを作成するために恣意的な閾値は課されないが,それを使う研究者は症状の数や強度が精神病理の重症度と同等であると頻繁に想定している。この仮定には主に2つの問題がある。第一に,特定の次元における逸脱が病理的と見なされるために,基準値からどれほど離れている必要があるかを決定することは難しいという問題。第二に,ほぼあらゆる症状次元で高得点を示す人々の中には精神疾患に伴うと予想される苦痛や機能障害を伴わない者がおり,それらがなければその人が「病気」であると主張することは困難であるという事実である。