最近手芸にハマっている。
なんてことを旧知の友人に話したらめちゃめちゃびっくりされるだろうなと思う。一番苦手な家事はボタン付け、というくらいに手芸的なものと縁のない人生を歩んできた。不器用だし向いてない。そう思っていた。
最初はミサンガだった。なにか身につけるパレスチナ連帯グッズみたいなのがほしいな、なんか買おうかなとぼんやり思っていたところ、ブルスカの相互さんがミサンガを作っているのを見てわたしも作ってみようかなと思ったのがきっかけだった。
人生でミサンガを作るのも初めてなら刺繍糸を買うのも初めてで、編み方を解説してある親切なWEBサイトや動画を見ながらチャレンジしてみた。いくつかの編み方で試してみたけど、元が不器用なせいかいまひとつな出来。こんなもんかなぁと思っていたところ、輪結びという編み方でつくったミサンガがすごく簡単なのとデザイン的に気にいったのでそればかり作るようになった。

最初はパレスチナフラッグカラーで、それからちょうどプライスマンスにかかっていたこともあり、いろんなプライドフラッグカラーで編んでみたりもした。ビーズを編み込んでみたり、ドラマの二次創作ミサンガ(なにそれ)を編んでみたりもした。


誰かにあげたりする予定もないのに、編みたい色やイメージがわいてきて次々と編んだ。シンプルに楽しかったし、癒やされている気がした。
まず糸を編んでいるとどうしても両手を使うので、スマホから離れられるというデジタルデトックスの効果がある。単純作業なのであまり頭を使わなくてもいいし、だけど手元をちょくちょく見る必要もあるので、ながら見で見るドラマも情報をあまり追う必要のない過去のドラマが多くなる。面白いとわかっているドラマを見ながらミサンガを編む時間は1日で一番楽しみな時間になった。

疲れてたんだなぁと思う。
むちゃくちゃな政治がずーっと続いていることに、そして政治に怒るSNSを眺めることにも、うっすらと慢性的に疲れていた。なのに集中力が落ちているせいであまり本も読めず、ついSNSばかり見てしまうという負のループ。コロナの時期もそうだった。
言葉は、良いときも悪いときもそれなりの影響力を及ぼす。とくに自分が疲れているときは怒りのオーラをまとう言葉に触れるのは、それがどれだけ正しい言葉でも、少ししんどい。
スマホから糸に自分の指先を移すことで、疲労で混沌としていた心が少しだけ整った気がした。面倒なこととしか思ってなかった手芸が自分にそんな効果を及ぼすことを初めて知って驚いてもいた。
7月になるとEテレの手芸の番組でパレスチナ刺繍が取り上げられることをSNSで知った。パレスチナ刺繍には興味があったので録画して見みると、基本すべてクロスステッチであること、そして図案がとても素敵だったのでチャレンジしてみたくなった。刺繍糸はすでに家にあったし、ジャバクロスというクロスステッチ用の布はダイソーに売ってあった。「素敵にハンドメイド」という番組テキストを買うと4パターンの図案と刺し方を丁寧に説明してくれている。

なるほど挑戦してみるとたしかにクロスステッチだけなので一つ一つは難しくない。だけど手芸の超初心者が挑むにはちょっと大きかったのでは……?と気付いたのはやり始めてからだったけど、まあなんとか完成までこぎつけた。
夜おふろにはいったあとは、ミサンガを編むか刺繍をするのが日常となった。そうなると不思議なもので、少しずつ読書する時間も戻ってきた。

そんなころ『編むことは力 : ひび割れた世界のなかで,私たちの生をつなぎあわせる』という本を読んだ。
エコロジストであり幼い頃から編み物が身近であった著者が戦争や社会運動などとも関わってきた編み物の歴史をひもとき、自分自身の体験も織り込みながら編み物の持つ力を再定義してみせる面白い一冊だ。

本書を読んでいて耳が痛いなと思ったのはフェミニズムとの関係だ。編み物含め手芸全般が、女性が家族の衣服を仕立て管理していた時代からのつながりやイメージからきっぱりと引き離すのは難しい。今だってボタン付けやアイロンがけなど、家庭では女性が担うことが多いと思う。
編み物を、女性たちを家庭に縛りつけ、見えない、対価のない労働存在として忙殺してきた手芸とみなし、女性の抑圧の象徴だと考えるフェミニストもいた。彼女たちは、編み物が歴史を通じて持ってきた、政治的・革命的エンパワメントという一面に気がついていなかった。また、編み物が、人間の創造性を示す有効な手段であり続けたことを認めてもいなかった。
編み物も手芸も「女の仕事」だから、果たしてきた役割もその芸術性も軽んじられてきた。わたし自身もまた針仕事には楽しみを覚えられず、雑巾も布巾も買ってくれば良い、靴下もズボンも穴が開けば捨てれば良いと思ってきたし、そうやってきた。元から不器用で針仕事が好きじゃなかったことに加えて、やっぱりそれらが「女の仕事」とされてきたことへの反発心もあった。
だけど手芸は長らく家庭に押し込められてきた女性たちの数少ないクリエイティブの場であったと同時に、発散できないストレスを緩和する営みでもあった。それが国や地域を超え、地球上のいたる場所で女性たちが受け継いできた文化なのだと思うと、尊い。
これは「女の仕事」という名の、長い長い、カラフルな大河なのだと思った。
そもそも手芸は「女」だけの仕事でもなかった。かつて遠洋漁業に行く漁師さんたちは船で編み物をしていたと朝ドラ『おかえりモネ』を見て知った。長い船上生活の暇つぶしになったり実用的でもあっただろうけど、命の危険もある、そして孤独な海上生活で編み物がストレス緩和に役立っていたのではないかなと想像する。
また二年前に目黒区美術館で見た『青山悟 刺繍少年フォーエバー』という展示もつよく印象に残っている。青山さんは今それすらも廃れつつある工業用ミシンを用いて資本主義や労働問題を問う刺繍作品を制作していて、無名の女性たちの手作業による刺繍作品へのリスペクトをこめた作品もあった。自分が刺繍をはじめた今また改めて見てみたいなと思う。図録買おうかな。


わたしはまだ初心者オブ初心者なのでしょっちゅう間違えるし、間違えたら思い切って最初からやり直すこともある。もちろん面倒だし、ため息は出る。だけど間違えたらやり直すという、当たり前の過程にすら不思議と癒やされるものがある。なんだって間違えたらやり直したらいいのだ。気が済むまでやり直すことはできる。だって間違ったまま進むよりずっといいから。

「君が戦争を欲しないならば、繕え、平和を」
そんなフランスの詩人の言葉をスピーチで紹介したのは高畑勲だった。
間違ってばかりの政治も、全部やり直していいんだよ!!!と強く思いながら、また今夜も「NOWAR」と編んでいく。