『虎に翼』第17週ふりかえり

hinata625141
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公開:2024/7/28

第17週「女の情に蛇が住む?」

女の情愛は執念深い。 深入りすれば恐ろしいものだ。

そういえばメデューサも女だよね。文化圏は違っても蛇と女が結び付けられるのはなんなんでしょうねぇ…

さて新潟編2週目は涼子様と玉ちゃん、稲さんら懐かしいお顔との再会があった一方、寅子が刑事事件の裁判に携わることによってリーガルドラマとしての面白さも加わったな!と思いました。


女子部で唯一その生存が確認できてなかった涼子様、そして玉ちゃんとついに再会!二人でやっているカフェの名前は「Light House」、そして日曜限定名物は手作りのおまんじゅう。涼子様が女子部のころの思い出をどれだけ大事にしているかわかって泣けちゃいますね…😭

だけど空襲で怪我をして車椅子生活の玉は、自分の存在が涼子の自由を奪っているのだと苦しそう。そんな二人の関係の難しさを見ながら、よしながふみの「僕の見た風景」という短編漫画を思い出していた。こちらでは昔からの友人同士がある事故をきっかけに介護する側・される側となって同居する物語だ。ここでも「介護される側」の傷つき、そして対等であったはずの関係性の崩壊と再構築が描かれる。

涼子と玉はもともと主従関係であって対等じゃなかった。戦後、涼子は新憲法によって華族の身分も財産も、そして玉との雇用関係も失い、本来は対等な関係になれたのかもしれない。だけど今度は玉のほうが世話を必要とする立場になってしまった。戦前の涼子が幸せでなかったことをだれより知っている玉だからこそ、今度は自分のせいで涼子の人生が縛られるのに耐えられなかった。

そんな気持ちを打ち明けた玉に、涼子は涼子で「一人になるのが怖かった」と、玉を手放せなかったことを告白する。そして「どんなに大変でも玉と生きていくことが幸せなの」とも。それを聞いてもなお玉は「ご迷惑をかけたくない」と言いながら泣いている。そしてここで初めて口を挟んだ寅子が「すべてを諦めてほしくない」と言ったのが、かたくなだった玉の心を開くための最後の一押しになった。甘えたい、甘えたくないの間で揺れる玉の心が伝わってくる、ほんとうにいいシーンだった。

「あなたなしの人生は考えられない。わたしの親友になってくれませんか」

「あなたはもう親友ですよ」

他の方のツイートで知ったのだけど、後日玉が読んでいた本は『赤毛のアン』の原語版だった。たぶんもとは涼子の本だったのだろう。だからここで玉はアンがダイアナに言った言葉を引用したのだ。玉と涼子のふたりが「bosom friend」であることを誓いあうシーンはほんとうに美しかった。

だけど玉と涼子の関係は、アンとダイアナというより、アンとマリラに重ねやすい。幼いころから奉公に出され他者のケアをしてきたアンは、マシューとマリラと出会い家族にしてもらったことで、ケアされる子ども時代を取り戻すことができた。やがて成長したアンは、マシュー亡きあとのマリラをケアするようになる。長い人生を共にすればケアする/される関係が逆転することもある。してもらったことを返すだけ、と言葉にしてしまうとそっけないが、これまでの信頼関係と感謝と愛情があってこそ。ここでもまたケア本来の尊さが描かれる。

アンとダイアナの関係性はどちらかといえば寅子と花江に近いかなと思う。トップクラスの成績で大学まで行き教職の仕事を得たアンと、堅実な結婚を選んだダイアナ。異なる生き方を選び、疎遠になる時期もあったけど、二人の友情は末長く続く。

大好きな少女小説の息吹が感じられる朝ドラ、最高です。

やまゆり園の事件が起きた日の週に障害者問題を描いたこともとてもよかった。

それにしても、この当時はバリアフリーの概念なんてなくて、街も建物内も段差ばかりで、車椅子も重いだろうし、トイレも和式しかなかっただろうし、玉ちゃんや当時の車いすユーザーの生活を想像するとほんとうにほんとうに大変だっただろうな…と思う。その方面では、もちろん当事者の方たちの闘いの歴史あってこそだけど、社会が前に進んでてよかったなと思った(まだまだ改善の余地はたくさんあるとは思いますが!)。


そしてまた今週つよく心に残ったのは、杉田太郎弁護士がひとり娘と孫を失ったという長岡空襲のこと。市街地の8割が焼失したって被害の大きさに絶句した。行ったことはないのだけど、長岡といえば長岡大花火のことは知ってて、だけどそれが空襲からの復興祭であったことは知らなかった。

先週、高瀬のエピソードで「死を知るのと受け入れるのは違う。事実に蓋をしなければ生きていけない人もいます」と言って大事な人の死を乗り越えられないことへのシンパシーを示した航一がここでもまた、優未の姿を見て慟哭する太郎に寄り添った。(ここで寄り添う役を寅子にさせない脚本が好きです)

戦争による心の傷といえば、戦地PTSDや、被爆や空襲のトラウマなど、自分の身が死にさらされた経験こそがクローズアップされるし、それですらフィクションの中で十分に語られているとは言えないけれど、「大事な人を奪われた」という普遍的な痛み、それこそ先週次郎弁護士が言ってたように「みんなだれかしら亡くしてるんだから乗り越えなきゃ」と、雑に扱われてきた痛み、透明化されてきた痛みを、この物語は丁寧にすくい上げようとしている。

ちょうど今週、映画『夜明けのすべて』のソフトが届いたのでひさしぶりに見たんだけど、今見るととても『虎に翼』と響き合ってることに気付いた(劇場で見たのはとらつばが始まるより前だった)。生理の話はもちろんだし、遺族のグリーフケアのエピソードはとくに今とらつばで描かれていることとつながるし、「生きてればみんな何かある」ということもそう。「生きてればみんな何かある」から「乗り越えなきゃ」と次郎弁護士は言ったが、『夜明けのすべて』は「生きてればみんな何かある」からこそ互いを思いやるべきで、「生きてればみんな何かある」けれども「だれにでも等しく夜明けは来る」という話だった。

遺族の心の傷が軽く扱われるとらつばの時代を見たあとに、『夜明け〜』でグリーフケアの会にそれこそ10年以上通ってる人がいたりするのを見ると、バリアフリー問題と同じく、100年前より良くなったことはあるのだと思えて少しだけ気持ちが明るくなる。

ちなみに『虎に翼』と入れ替わるように再放送が決定した『カーネーション』では、戦地PTSDも遺族の長い苦しみも描かれていたことを思い出す。再放送楽しみです!


そして美佐江問題。赤い手首飾りでつながりがわかるとか突然のサスペンス感でひゅっとしてしまうのだけど、一方で、森口氏の娘溺愛っぷりは直言のことを思い出す。うちの娘は賢いんですよ〜、大学に行って法律を勉強して末は弁護士かな〜!ってそっくりで笑う。そんなふうに何不自由なく育てられているように見えるのに、美佐江の心の闇は深そうだ。

思えばこの時代のこの世代の子って、多感な時期に敗戦による価値観の大変動を経験したはずで、社会や大人に対して強い不信感があるのかも…と思う。まさに家裁の出番かなと思うけど、実際に手を汚してない美佐江にも寅子の言葉は届くのか。どんな着地をするのか楽しみにしてる。


ちょっと今週は色々ありすぎてわたし的に影の薄かった航一さんですが、わたしから航一さんに伝えたいことはひとつです。遠回しなアプローチが通用する相手だと思うな!😂

でも互いに慎重なタイプだからこそ、互いの心の傷にシンパシーを寄せることによってこそやっと近づけるのかもしれないな…と思うので、今後の展開が引き続き楽しみです。


↓よしながふみの「僕の見た風景」が収録されている『こどもの体温』

↓『夜明けのすべて』の公式アカウント。ソフト発売されましたが、復活上映があったり、来月8/9〜はネトフリでの配信も始まるようです

↓わたしの『夜明けのすべて』の感想です


第16週シナリオふりかえり

  • 寅子の作ったお芋の煮っころがし、失敗してたんだ…😂

  • 涼子についてのト書きに「着物ではなくマニッシュな服装(化粧はしているが、まるで、よねのような出で立ちだ)をしている」とある。ファッションについてのト書きがあるのはめずらしいなと思った。


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