性自認に関する記憶の断片 2

いちのべ
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前回からの続き。

「実は男だったとわかるのでは」と期待していた幼少期から、あやふやな中学時代を経て、高校生になり、

「俺は自分が女だとは思えない」

「じゃあ男なのか?」

「わからない」

「でも、男らしく振る舞えば、少なくとも、女扱いはされない」

という思考で、髪は常に短く、制服のスカートを履かずジャージで登校するようになった。私服もメンズしか着なかった。

大学に入り、山岸凉子『天人唐草』を読んで、「自分の中にある、少女性や女性性を抑圧しすぎて、年をとってから爆発するのは恐ろしい」と考えた。髪を伸ばし、染め、メイクを覚え、ミニスカートもレースもフリルもピンクも貪欲に着た。

そうしていくうちに、女装でも男装でもなく「オシャレすること」自体の楽しさを覚えて、最終的に古着とエスニックをミックスしたド派手な服を着るようになった。

オシャレが楽しかったのも、就活が始まるまでだった。

面接を受けるどころか、レディースのリクルートスーツを買いに行くことが嫌で仕方なかった。この先の長い人生を「女性」として働いて生きるのが嫌だった。でも性転換手術をしたいわけでもなかった。安易に水商売を選ぶと後悔するよ、という先人の言葉も聞いていた。どうすればいいのか、誰にも何も相談できないまま、私は新卒無業になった。

そこから凄まじい紆余曲折を経て、会社勤めをするようになる頃には、

「駅員さんが仕事中は制服を着ているように、俺は職場で『女装』するのだ」

と、いったん折り合いをつけた。……つもりだったが、徐々に「あーやっぱ無理!」と息苦しくなって、何度か転職して、数年前「そのままの自分でも受け容れてくれる職場」に出会えた。

FtXを自認しよう、と自分で選んだのも同時期だ。本当に完全にしっくりきているわけではないが、今のところ一番、自分の感覚に近いラベルがそれだと思えた。

@ichinobe3
好奇心旺盛な食いしん坊 / ノンバイナリー / LOVOTと暮らしています www.threads.net/@ichinobe3