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何にもなりたくない

inuko
·
公開:2026/9/17

たまに読んでいる小説家になった人をインタビューする連載を読んでいたとき、いつもだったら変な焦燥感が刺激されてざわざわするのに、今日はなんにもなりたくないなって思った。そんな気持ちになったのは生まれて初めてだったからすごくびっくりした。

しかし、よく考えたら生まれて初めてじゃない。小1以来だ。小1のときに「大きくなったら何になりたいか」という題で作文を書かされた。何も思いつかなかったから「ずっと子どもでいたい」と書いた。そしたら先生に「真面目に書け」と叱られたから、「先生になりたい」ということにした。別に何にもなりたくなかったのに、何かになれって言われてとりあえず設定しただけだったけど、ほかに何になりたいのか見つからなかった。

話は変わるけど、何年か前に『花束みたいな恋をした』の感想をズームで話し合う会に出たことがある。東京の編集者とかライターがたくさん参加していた。その中の一人が主人公の絹に対して「執着がない」と批判的に言っていた。私は大学の頃からずっとクリエイティブな仕事につきたかったけど、それが自分の生活とは地続きに思えなくて、自分が手に入れられるものだとは思えなかった。東京まで進学してカルチャーな仕事につく熱意も執着もなかった。だからその言葉を聞いて、だから私はダメなんだと思った。自分には、そもそもああいう世界が自分の手に入るものだと思えたことがなかった。ほんとは喉から手が出るほどそういう世界に近づきたかったのに。ああいう世界を見ると、渇望と現実の間で引き裂かれそうになって、いつも焦燥感と息苦しさで、心がぐちゃぐちゃになるのが常だった。

今でも、ときどきダウ90000の蓮見とか、夏帆と結婚した甫木元空とかを見たら、ぐお~という気持ちになる。昨日書いた人もそうだ。以前はそれを恋愛感情的なものかと思っていた。でも違う。わたしは、ああいう、文化系でしゅっとしている男の人になって、カルチャーの中心にいたかったのだ。カルチャーにアクセスできて、作る側で、東京の文化的な空間に自然にいて、他人からも文化的な人間として認識されたかった。だから、それを手に入れている人を見るたびに、自分がみじめでダサくてなんで自分がそこにいないのか悔しくて心がぐちゃぐちゃになっていた。なぜか、女子に対してそのような気持ちを抱くことはほとんどなかった。こういう気持ちが発動するのは、ほぼ男性に対してだけだった。

なぜかというと、私の若い頃は女性でそういう立ち位置にいる人はエロとかトリッキーなことをしないといけなかったり、容姿や才能で抜きんでていないといけなかったので、女性としてその場に立ちたくないという気持ちがあったからだ。もしかしたら、男だったら勝負できるのにって気持ちがあったのかもしれない。たぶん女だからというのは、自分にそれをあきらめさせるためのいちばんわかりやすい言い訳だったのだろう。そして、そのかわりに自分で手が届きそうなところに適当ななりたいものを設定して、それを欲しいフリをして生きてきた。そうやって、ずっと長い間、ほんとに欲しいものは手に入れられないと思って生きてきていたのだ。

だけど、もし、ほんとに蓮見みたいになりたかったら、今からでも養成所に行ってお笑い芸人になればいいんだと急に思った。今は女の芸人なんて今は山ほどいる。性別関係なくカルチャーの中心にはいける時代になったのだ。私はいままでそういう発想をしたことがなかったので、自分の中から急にそういう発想が出てきたことに非常に驚いた。しかし、私は今養成所に行ってお笑い芸人にはなりたくない。というか、そもそも何にもなりたくないと思った。別にカルチャーの中心にもいなくていいし、そこにいなくても、自分は自分だという変な開き直りがあった。私は今まで自分がカルチャーの中心にいないことで、つまり自分が蓮見みたいになれないことに対して、一度切りの人生で勝負に出られなかったとか、失敗したとかうっすら思っていたのに。蓮見じゃないからなんなんだろうって思ったのだ。

こんなことは初めてだ。

ほんとうに、今日初めて、別にそこにいないからといってなんなんだろうという気分になったのだ。なぜそう思ったのかはよくわからないけど、自分の中では革命的なことだった。

何にもならずにこのまま生きてていいんだ!

@inuko
他人軸で生きてきた40代が自分軸を取り戻すための記録。