フローとグレイはあの後出会えるのか
以前友達と「ゴースト&レディ」を見に行って「会える」「会えない」の考察が変わった記事を公開しました。(※お時間ある方はぜひ読んでみてくださいね🙇🏻♀️)
フローは「いつまでも待っている。」と会えることを信じている、グレイは「二度と会えないとしても」と会える可能性は持っているという解釈ではありますが、その後4回観劇した私の感想は「フローとグレイはあの後は会えない」のではないかということです。
ですがここで1度「奇跡の夜に」の歌詞を思い出して欲しいのです。
グレイは「舞台が自分を慰めてくれる」と言っているのです。最初は「舞台が好きなゴーストを慰めるのは舞台だけ」という意味と捉えていましたが「舞台=ゴースト&レディという作品」の事なのではないかと。
となると「ゴースト&レディ」を上演している間はグレイはフロー(と過ごした日々)と出会えるのという意味なのではと思いました。
私が述べた考察通りであるならば、私は何度でも「ゴースト&レディ」に足を運び、グレイとフローの出会いに立ち会いたいです。(変な事言っている気がします。でもこの思い伝わって欲しい…)
「ゴースト&レディ」は悲劇か喜劇か
Twitterでどなたかが「ゴースト&レディ」は喜劇か悲劇かという問いを投げていました。
1幕の序盤でグレイも「悲劇か喜劇か」と言ってますね。
自分なりに考えたんですが、「悲劇でもあり、喜劇でもある」というのが私の意見です。とってもずるい回答なのは承知ですが😂ちょっと意見を聞いて欲しいのです……
私はグレイのセリフで「新作の初日だ」から「我が処女作、ゴースト&レディ これにて終演」までは「劇中劇」だと捉えており、そこは悲劇だと思うのです。人間であるフローとゴーストであるグレイは一緒に天国へは行けませんでしたから。
しかし舞台の電気が爆音とともに消えた所からカーテンコールまでを観て考えたら話が変わってくると思っています。
というのもグレイは天国に旅立つフローへ「やり残したことがある」「それが出来たらお前に見せたい」と伝えフローを送り出します。
グレイは処女作「ゴースト&レディ」を上演し「フロー、見てるか」と問いかけた後に劇場を去り、舞台からフローが出てきます。
フローが舞台から出てくる演出をする事によってフローはこの「ゴースト&レディ」を一緒に見ていたことの比喩なのではないかなと思いました。グレイが劇場を去るだけの演出でも収まりは良かったと思います。
「やり遂げたい事がある」として「ゴースト&レディ」を上演し、やりきったと言わんばかりの笑顔で劇場を去るグレイ。グレイは気付かなかったとしてもどこからか「ゴースト&レディ」を見守っていたフロー。グレイがやりたかった事が叶っている以上これは「喜劇」なんじゃないかなというのが私の所感です。
最後に
ここまで拙い文章をお読みいただきありがとうございます。「思ったことを文章にする」のが得意ではないので、感じていることの半分も伝わってないと思っています…🥹
それでもこの文章を読んだ方が少しでも共感してくださる部分があればと思っています。
最後になりますが「ゴースト&レディ」を上演に携わった方々に限りなき感謝を。
五郎八
