ビジネス用語としての「侘び寂び」について

かきそふと
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公開:2024/6/9

(前回の続き)

https://sizu.me/kakisoft/posts/kw0nn91o7crf

(要約:現代の「侘び寂び」ってカオスだよね。以下、1例)

Wabi-sabi furniture

https://www.franciscosegarra.com/en/furniture-tags/wabi-sabi-furniture/

隠れ居肴家 わびさび

https://www.enjoytokyo.jp/spot/g_g733927/

わびさびビール

https://bairdbeer.com/ja/beer/wabi-sabi-japan-pale-ale/

侘び寂びガールズバー

https://luline.jp/shop/view/18160/

という事で、現代ではワケ分からん方向にも「侘び寂び」が使われているので、本来の正しい「侘び寂び」を学んでみよう。というのが今回の趣旨。

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友人から「 "侘び寂び" を知るなら、松尾芭蕉記念館に行け。」とアドバイスをもらったものの、タイミングの悪い事にメンテナンス中だったので、急遽予定変更となりましたが、日本史マニアの友人から話を聞く事は出来ました。

話を持ち掛けた時点から不穏な話は聞いていたので、期待を膨らませていました。

ちなみに、「侘び寂び」についての不穏な話は、こんな感じです。

世間一般の人がイメージする「侘び寂び」とは、だいぶ違っていると思う。

という事で、色々な解釈もあると思うが、友人から聞いた「侘び寂び」について、整理してみた。記憶違いがあれば、訂正して行きます。(友人にシェアしています。そのため、以下の内容は真実性を精査していないドラフト版となっています)

<千利休と茶道と「侘び寂び」について>

・「侘び寂び」は、茶道と密接な関りがあるので、茶道の第一人者である千利休を知る事が重要。「侘び寂び」の原点は茶道。

・千利休は、元々は貧しい商人の生まれで、営業(接待)に活用するために茶道を学んだ。

・千利休はビジネスパーソンとしては超優秀で、茶道を活用した営業にてガンガン売り上げを伸ばし、上流階級とのコネも多数作る事ができた。

・千利休以前の「お茶会」は、静けさとは無縁のパリピの集いのような派手なものだった。そのため、金をかけて豪華にする方が良いとされていた。お茶会が豪華であればあるほど、開催者の位が高いという風潮があった。

・お金の無い領主は、お茶会の開催が難しかった。また開催したお茶会がショボかった場合、自分の位の低さが露見する事になるので、開催に消極的な領主も多かった。

・そんな時代に、持ち前の営業力でコネを作りまくっていた千利休は、とある領主から「ちょっとお茶会開いてくれない?」と持ち掛けられた。

・「何言ってんだ。俺は貧乏な商人だぞ。どないすればええっちゅうんじゃ。そもそも、豪華なお茶会開く金ねーよ!」と困った千利休は、「お金がなくとも開催できるお茶会」を良しとする風潮を作ろうとした。(千利休は、身分が高くて凄い人と印象付けるような振る舞いが上手かった。この辺も、ビジネスパーソンとして優秀だった。)

・これまでの派手なお茶会から、狭い部屋で質素な雰囲気のお茶会を開催し、領主から「何だこの貧相なお茶会は!」と驚かれたが、「これで良いのです。貧しさと寂しさに価値を見いだすのが、これからのお茶会の新しいスタイルです。」と説明した。この時の重要キーワードが「侘び寂び」

・これまでのスタイルとは完全にかけ離れているため、独自のマナーも開発し、それに(強引にでも)意味を見いだし、新しい価値観として定着させようと尽力していた。今でいうマナー講師やマナークリエイターとしての側面を持っていた。(この点でも、ビジネスパーソンとしては優秀だった)

・正直、かなり無茶苦茶な事を言っているが、妙な持ち前のトーク力と説得力で強引にねじ伏せ、抜群の営業力によって、このスタイルのお茶会を拡大していく事に成功した。

・実際、お金が無くてお茶会を開けない領主にはウケが良く(ショボいお茶会を開いても、各下に見られずに済むため)、こちらの方が主流になっていく流れすら出てきた。

・これまでのお茶会は、広い場所を使い、大人数で開催するのが主流だったが、千利休が広めたお茶会は、狭い部屋で2~4人で実施するのが主流だった。

・そのため、大きな部屋で大人数でお茶を楽しむのを「侘び寂び」と称するのは、本来の意味からはかなり外れた価値観となる。正直、ビジネスとして展開しているだけと思っていいらしい。そう考えると、スタイリッシュな侘び寂び家具や、侘び寂びガールズバー、侘び寂び居酒屋、侘び寂びビールといった商品も、理解できなくはない。)

・狭い部屋で2~4人で開催するスタイルは、密会をするにも都合が良く、数多くの権力者に好れ、これも爆発的に広まった理由の1つとなった。

・そんな時、なぜか派手なお茶会を開くのが好きなはずの信長の目に留まった。

・そこからさらに「貧しさ」と「寂しさ」を良しとする、千利休のスタイルのお茶会は爆発的に広がっていった。

・信長以前との違いとして、「金をかけて貧乏を楽しむ」という流れも出てきた。

・具体的には、超貧相な器や、どう見ても実用性の乏しい器にバカ高い値段を付け、それを「良い物」として芸術的価値が高いかのような雰囲気が広がってきた。

・この辺りで、「侘び寂び」が「お金をかけて貧乏を楽しむ(お金をかけて貧相な道具を揃える)」という、文化として定着して行った。

<松尾芭蕉と「侘び寂び」について>

・正直、千利休は「侘び寂び」に文化的な価値を見いだしたというよりも、ビジネスの道具として活用していたが、茶人でもあった松尾場所は、千利休が強引に展開した侘び寂び論を真に受け、ガチで「貧しさと寂しさに価値を見いだす事」を追求して行った。

・それが現代の「貧しさと寂しさに価値を見いだす」という価値観の「侘び寂び」として確立していった。

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以上。友人から聞いた、千利休と茶道と侘び寂びについてでした。

正直、「Japan の WABI-SABIの文化って素敵!」と感銘を受けた海外の人の希望を粉々に打ち砕くには十分の、凄まじい内容だったので、これをどう説明しようか既に頭を抱えている。

(余談)

・千利休が変革するまでの「お茶会」は、帯刀が許可されており、参加客同士の斬り合いは日常茶飯事だった。

・千利休が広めたお茶会は、帯刀を禁止しており、刀を掛けておく棚があった。

・参加者から「参加者同士が斬り合いにならないのはまぁいいとして、主催者が切りかかった時はどうするんだよ!俺ら丸腰でお茶会やれというのか!」と非難されたが、「こんな狭い場所では刀は使えません」と反論していた。(そのため、狭い場所である事は必須だった)

・千利休は秀吉から切腹を命じられたが、それは秀吉が豪華でピカピカな茶碗を用意し、茶室を金粉で塗りたくるような、煌びやかで豪華なお茶会を開催していたのが原因の説がある。

・そのため、貧乏な商品出身の千利休とは馬が合わなかった。(千利休は「侘び寂び」をビジネスの手段として使っていたが、貧しさに価値観を見いだす事を完全に捨てる事はできず、煌びやかな装飾で全てを覆い隠す秀吉とは完全に相容れる事ができず、バチバチに対立しつづけた事で、やがて切腹を命じられるようになったんじゃないかという説がある)

<追記>

@kakisoft
福岡で物流系のエンジニアやってます。 kakisoft-portfolio-v2.netlify.app