全ての話

数年来のフォロイーが1週間ほど前に「会いませんか」と誘ってくれた。私も会って話してみたかったひとだったのでうれしくなって会うことにした。インターネットのこういうところがとてもすきだ。こちらの漠然とした片想い(※私は恋愛以外にもこの言葉を用いる)だと思っていたものがこんなかたちで実ることがある。

(フォロイーと呼ぶと距離が遠い感じがしてさびしいような気持ちにもなるけれど、具体的な名前はこういう場にあまり出すべきではないという気持ちもあるので今回の相手の呼称はフォロイーで統一する。)

 

昨日書いた通り、異動の話が二転三転しバッタバタな年度末・新年度を過ごしていたこともあって直前まで詳細をつめることにリソースを割けずにいたのをフォロイーが先導してくれた。申し訳ない。互いの働く分野が少し重なっていたり、短歌がすきだったり、そのほかにも共通項が複数あったので、邂逅が確定したときは運動会が雨で中止になったときくらいうれしかった。

思春期以降の私はだれかと適度に仲良くすることが極端に下手で、クラスでひとりだけ永久にさん付けされ続けるかと思えばインターネットで知り合った友人と共依存に陥り7,8年ものあいだ癒着して過ごすなど、およそ健全とは言えない人間関係が目立った。もちろんまっとうな友人もいるけれど、それは極めて稀有でありがたい例だ。今回もその稀有でありがたいほうへ進みますようにと願いながら待ち合わせ場所へ向かう。

数分で現れたフォロイーと喫茶店に入り、ランチを注文した。なぜか私のナポリタンだけが早々とサーブされて困ったが、フォロイーの分が揃うまでなんとなく待つことにした私に食べることを促したりせずにいてくれるのがとてもありがたかった。

最初こそ私の引っ込み思案が顔を出したものの、短歌のこと、過去の災害の記憶、そのとき負った傷との向き合い方、成育歴……初対面でこんなに話せるものかと驚きながら本当にいろいろな、ここには挙げなかったことも語り合い、気づけば4時間が経っていた。境遇に似通っている部分がありすぎて、もし学生時代に出会っていたら「理解者が現れた!」といった感じで依存真っ逆さまだったかもしれない。幸いにもわれわれは大人どうしとして出会った。似た傷はあくまでも似ているだけで決して同じではないことを、仕事や学問を通じて理解していた。このタイミングで会えたことはとても幸運だったと思う。

もう少しどころかもっともっと耳を傾けたい話がたくさんあったけれど、今夜はパートナーと夜桜を見に行く約束をしていたのでそう告げた。フォロイーはごく自然な言葉選びで「楽しんで」と言ってくれて、それもまたありがたかった。

 

帰路、SNSをひらいてみると、”全て”の話をした、とフォロイーが投稿していてうれしかった。”全て”の話。たしかに、初対面で可能な限りの”全て”を互いに話した。もちろん双方むやみにさらけ出したわけではなく、それでいて嘘やごまかしや虚栄はなかったと思う。腹の探り合いではなく配慮を、遠慮ではなく譲歩を、相互に(私のそれは拙かっただろうが)できていたとも思う。そういうことができて初めて”全て”を話せるのだな、と改めて得心する。逆に何年の付き合いがあろうともそれがなければ話題は限られるだろう。できればこの先は”全て”の話ができるひととだけ付き合っていきたい。また今日の午後のような時間を過ごせる日が来るように、私も”全て”を語り合える自分でありたいと願う。

@kamiokafu
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