ぼーっとTwitterを眺めていたらこんなツイートを見た。
「え、めっちゃそれ!」と思った。
朝井リョウ『武道館』の解説でつんく♂さんが書いていることもこれに近い。つんく♂さん曰く、アイドルは自分の代弁者、なれなかった自分の成り代わりだと。だからこそ「報われてほしい」「夢が叶ってほしい」と思うし「彼ら彼女らが頑張っているから自分も頑張ろう」と思える。
この辺りを自覚してそうだなと思うのがケンティーである。たとえばMOREのインタビューがそうだった。
「アイドルとは?」と聞かれたら僕はきっと「共同体」と答えると思う。夢は僕だけのものではないし、そこへ挑む自分の努力や向上心が誰かの力になることもあるから。僕はずっとみんなの“自慢の推し”であり続けたいと思っている。
https://more.hpplus.jp/entame/people/81270/
ここまで書いて、なんか前もこの話したなと思った。これだわ。
たぶん自分は心のどこかで憧れの存在を欲している。しんどいときでも顔をあげて走れるように憧れの存在がほしい。努力は報われると信じさせてほしい。そんな自分の「ジョブ」を解決してくれる存在が自分にとっては「アイドル」なのだと思う。
だから「こんな風になりたい!」と思える人を好きになるし、そういう人たちには幸せでいてほしいと思う。憧れの人が報われないなんてそんな悲しい話はない。まあこれは勝手な仮託なのだけど。
あー、はいはい。これね。そうなんですよね。自分のことよく分かってんじゃん。生きていく上で顔を上げさせてくれる憧れの存在を求めている。マジでこれです。
だから「こんな風になりたい!」と思える人を自然と好きになる。別に憧れの存在に出会う手段として「推し活」をしているわけではなく気がついたら好きになっているだけなのだけど、好きになってからオタクとして行動しているときの裏側にはこの気持ちがある。
よく「推し活は自己満足!見返りを求めちゃダメ!」なんて話を見るけれど、そういうキリッとした理由ではなくただ本当に自分のために好きでいる・見ているという意識があるから「〜してあげたい」も「〜してあげたのにどうして」もないんだと思う。
本当はそんな風に何かに縋らなくても一人で強く生きていけるほうがいいのだろうけれど。あるいはいざというときに「ファンの一人の自分」ではなく「たった一人の自分」を助けてくれる存在が周りにいるほうがいいのだろうけれど。どちらもそんなに簡単なことではないので今日もアイドルに夢を見ている。
一種の現実逃避だなあと思うけれど、それでなんとか仕事して生活してるんだから許してほしいよね(許してほしいとは)(誰からの許しを求めているのか)