「わかる」ということ

kawa
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「わかる」というのは、それとそれ以外を「分ける」ことをいうのだと思う。両者を違うものだと認識できるのは何かしらの経験や知識があるからであり、その違いは言葉にすることで強固になる。

逆にいうと「これはAでありBではない」という言葉を聞いたとき、AもBも知っている人はすぐに納得できるが、知らない人はすぐには納得できない。だから言葉を通して何かを認識するというのは本当はすごく難しいことなのだと思う。

好きな作家の朝井リョウさんは以前、自分には理解できない言葉についてこんな風にお話されていた。

「石川選手や柳田選手を見ていて感じるのは、『エースやスターとして輝き続けてきた、その歴史を歩んできた者同士にしか分からない言葉がそこにはある』ということ。そういうものに触れると、言葉を生み出す仕事をしている人間としては、絶望的な気持ちになるんです。小説家って、あらゆる人たちの言葉を書く仕事なのに、この2人の言葉にはきっと一生たどり着けないって」

文字としては認識できても「つまりどういうことなんだ?」となる感覚はたしかにあると思う。

ここでQrzoneの話に戻ってくる。水曜日からしばしばこのことを考えている。

聞いた瞬間を思い返すと「わかるようでわからないな」という感覚が強かった。それは風磨くんの言葉が足りないとか道理の通らないことを言っているとかそういうことではなく、自分にはわからない世界なんだと感じた。

その後自分がどう感じ、どう考えたかはまとめた通りなので繰り返さないけれど、聞いた言葉に対して「わかる」と思えるのは難しいことなのだなと改めて感じた体験だった。

そしてもう一つ、自分の中で違うと思っているものを同じ言葉でまとめない姿勢が好きだと思った。それだけそこにこだわりがあるということじゃないですか。そのこだわりを理解できるかは別として、言葉にこだわりを持つ人は好きです。

私も風磨くんのことを「推し」とは呼ばない(「自担」と「推し」は感覚が違うから)とか、好きになった瞬間を「沼落ち」と呼ばない(今浸っている時間は沼というより泉だから)とか、そういうこだわりがある。周りに理解されるかどうかは関係ないし、周りがどう呼んでいるかも気にならない。ただ自分の中のこだわりとしてそうしている。

風磨くんの中で譲れないこだわりがあって「卒業」と「脱退」を使い分けているんだとしたら、そのこだわりは風磨くんのものであり、尊重されていてほしいと思う。

逆にたとえ風磨担であってもそのこだわりに従う必要はないし、メンバー全員の意見を揃えるべきだとも思わない。

きっと全員の言うことが一貫しているほうがわかりやすくて綺麗だろう。でもそれぞれの個を尊重すること、曖昧さを受け入れること、そうやって白黒つけられない中でも選択して前に進んでいくこと。そういうことができる強さを自分はSexy Zoneから学んできたのだ。

わからなさを抱えながら日々を過ごしていると、Creamの「曖昧でいいから君と僕だけの旅へ」を思い出す。自分の気持ちを守るというのはそういうことなのだと思う。

@kawa09231116
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