責任という言葉のこわさ

kikuchy
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昨日に『「自責思考」という言葉には「自罰思考」が含まれているので適当でない」と書いた。

その根源は「責任」という言葉の怖さにあるのだろうと思った。

だって責任ですよ。責められることを任される。なんて恐ろしい。

他責思考も自責思考も、どちらの「責」も本来は「コントロール権を持っている」程度の意味だったのではないか。そこに「責任」なんておっかない言葉を当ててしまったのが良くなかったのではないか。

コントロール権(オーナーシップ)を持つ、ということは、その結果起きる事象の良いことも悪いことも自分が引き受ける、というだけのことのはずだ。「責任」という言葉にすると、受益者でもあるという観点が抜け落ちてしまう気がしてならない。

組織のリーダーが責任者となると保守的になり、メンバーの新しい提案を通さなかったり、マイクロマネジメントしたがるのは、この責任とかいう言葉のせいではないか、と思ったりした。

おそらく今のところ私が知っている言葉だと「オーナーシップ」が責任に代わる適切な単語だと思うのだけど、もっと日本語的な言葉が欲しいとも思う。カタカナは浸透しなさそうだし、直訳の「所有権」はまた微妙に意味合いが違うそう。

「御者」はどうだろうか。御者思考、おさまりはまあまあか。しかし「手綱を取る(握る)」が連想され、コントロール困難なものを制御する印象が強いかも。責任者という言葉の代わりに使うと、人は馬じゃない、とかも言われそうである。

「株主」はまたちょっと違うか。割と近い気はするけれど。

結局、「オーナーシップ」とするのがしっくり来そうではある。