このドラマが始まったときからその筋書きを気にしていた。嫌な予感しか無くてイライラしたり腹立たしかったり複雑な気持ちが混じりあったまま1回1回を観ていった。
それはやはり『いちばんすきな花』の脚本を手掛けた生方美久さんだからだった。そうでなければ途中から観るのをやめてしまってたかもしれない。生方美久さんならどう展開させるのだろうかと不安ながらも少し期待もしていた。
始めにあった危惧や不安感や違和感は登場人物たちの背景を開示していく中で納得していくと同時にのしかかっていたいろんなモヤモヤの霧が晴れていった。
そして観終えて振り返ると、前もって父親のことを母親から聞いていた娘の海は既に父親を受け入れてた事、そのあり方関わり方がこのドラマ全体に繋がるメッセージだったんだなと気づいた。
そのあり方とは、「そこに存在していた」という事実を大切にすること。いなくなった後にそこにいたことを受けとめておかなければ心が空虚になって迷子になってしまうこと。いなかったことにして誤魔化してはいけないこと。
前回、恋人の百瀬弥生(有村架純)が母親になることの危惧を書いた。 "『海のはじまり』を観て|kisato"
世間的にはちらほらある話の展開かもしれない。いきなりあなたの親ですと紹介される、あの人はもういないんだからその人の話はしないでと言われる。それは不思議には思われない事かもしれない。納得できるかどうかではなく呑み込んで先に進むしかない。大人の事情が優先される。
でもこのドラマでは丁寧にその心境や考えられる未来の不安を恋人の百瀬弥生(有村架純)の口から月岡夏(目黒蓮)へ語られ恋人や母親ではなく友人になることを選んだことで私の気持ちはすっと軽くなった。
彼女は離れてしまうのではなく子どもの海と対等の友人になった。突然いなくなってしまうのではなく海の気持ちが尊重されててほっとすると同時になかなか現実的には難しいことだなとも思った。もしかして母親になることを選ぶ形になるのかと最終回までハラハラしながら観て結果そうならない終わり方になって本当によかったと胸を撫で下ろした。
いきなり恋人の娘の母親の立場を選ぶのはやはり無謀だ。彼女はハナから拒否していたわけでもなかった。友人として距離を取るという選択に脱帽した。この方法があったのかと。この後また母親になりたいと選ぶことになってもありだしこのまま友人でもあり。ただ出会ったばかりですぐ家族になるのを選ぶのは無いよね。
それぞれがどうしたいのか選ぶことの重要さ。途中で違和感を感じたらよく考えて引き返す勇気。
その人はいたと伝えることが必要だった。
私の父は私が5歳の時に離婚した母親については一切何も語ってはくれなかった。母親のことを聞くのはタブーのような空気になった。それはまるで元から居なかった人のようになった。
ドラマの登場人物の一人ひとりの胸の内が丁寧に明かされていったのもそれぞれに感情移入ができてそれぞれの立場から考えることができてよかった。海の母親・南雲水季(古川琴音)が勝手に産んでしまって連絡もしなかったことなど引っ掛かかっていたけど気にするのはそこじゃなかった。
親子のあり方やパートナーとのあり方にこんな方法があるよと教えてくれたドラマだった。それはたぶん理想であって実現するのは難しい。けれどできなくたって可能性というものがある。
このドラマでは海の周りの大人は皆、海のことを大切に慎重に丁寧に接して声を荒らげ感情的に騒ぎ立てたりせず上から大人の考えを押しつけたり思考停止しない理想的な大人ばかりだったけどそうだったらいいなという展開を静かにじっくり見せてもらったのはいい。
こんなに子どもに寄り添ったドラマってあっただろうか。
脚本家・生方美久さんの伝えたい骨子とは違った捉え方になったかもしれないけれど最後まで観て良かった。彼女が伝えたかったことは、
・がん検診に行ってほしいということ
・避妊具の避妊率は100%ではないということ
“ 伝えたいわけじゃないことは、「家族は素晴らしいもの」ということです。家族を嫌いだっていいと思っています。家族ではない‟つながり”を持った登場人物たちの感情や選択が何より重要な作品だと思っています。“
私にとってこのドラマから受け取ったものは次のふたつ。
・突然濃い関係性を無理矢理つくらないこと(それは自分にも他人にとっても暴力になり得る)
・別れた人をいなかったことにしないこと。
世間的に常識と思われていること、仕方ないよねと諦めてること、社会のシステムに変なところが無いかそれによって身動き取れずに苦しんでる人がいないのかそれは最善なのかどうしたらいいのか考えること気づくことが大切なんだなと改めて思う。
おっ、そういう考えがあったんだそんな方法があったんだって目からウロコがたくさん落ちていきますように。
