GO「盈月剣風帖」お疲れ様でした。無事に終焉を見届け、残夜幻想の剣鬼をLV120佐々木と☆5但馬守とうちの伊織で斬り捨てられて私は満足です。なお佐々木は途中でsn20周年記念により攻撃力補正がプラスされたので2回がんばってもらいました。
鋼屋ジンさんのシナリオもFGOにしてはアクというかパンチが効いてない感はありましたが、個人的には素直に作られている雰囲気がむしろ私向けでストレスフリーで楽しめました。やっぱりちょっと映画『刀剣乱舞-黎明-』を思い出させる心地だったのもまた嬉しかったです。
そんなこんなでもうやり遂げました・完。てことで話さなくて良くない? とも思ったのですが。初日に大いにはしゃいじゃったので、せっかくだからSRも含めてちょっと書いとこうかなと。
■ GOもSRも佐々木のせい
いきなりファンの人には申し訳ないのですが、私はFateシリーズに好きなところは見いだせるものの基本的には苦手としています。旧友にも「お前とFateに親和性を見出だせない」「なんでやってるの?」と言われるほどです。
ぶっちゃけ私もやりたくない。いつもやめたいと思っている。それでもなんでやってるかと言えば佐々木小次郎のせいですよ。あいつに釣られて始めてしまい、なんやかやでずるずると続け、その時点でできうる限りの強化を施すことを己の義務とみなしてしまったのです。その辺りの経緯は6年前に書きました。
……6年前……6年か……もうそんなに経つのか……という感慨は置いておいて。
SRも発表された時、「佐々木は出ますか」「出るだろうな」「やるしかないな」と即決でした。本気でそれしか考えてなかった。でも鄭成功の容姿とCVがド好みだったのでそっちにハマるかもしれない、そんなことをぼんやり思いながら遊び始めたら、とんでもない伏兵がいた。宮本伊織貞次です。
■ 理想のヒーローとしての憧憬とFateのヒーローとしての警戒
まったくノーマークだった伊織くんを「良いなぁ」と思い始めたのは顔グラ経由でした。顔がいいと言うか、癖のある黒髪と、前髪の間から覗く静かな眼差しが宗教案件だったのです。
言動も落ち着いていて聡明。良識的で礼節を保ち、非道には真っ直ぐ立ち向かう。その上兄属性な彼は、幼少期の初恋こと「理想のヒーロー像」に合致しました。しかもド性癖である和装剣士と来た。こんなの好きになるなという方が難しく、それがたまらなく嫌だった。
だってこいつ、Fateシリーズの主人公だよ?! どう考えても厄ネタに決まってるじゃん!!
そんな警鐘も虚しくどんどん好きになってしまい、地獄の蓋が開かれた時は既に手遅れだった。さらに困ったことに、警戒していた厄ネタすら私好みだったんですよ。
いや、それ、「刀」の苦悩そのものでは?
■ 剣として生き、
本来武器でしかない刀は血に塗れたものであるはずが、治世においては道徳の鑑として尊ばれる。そうした言わば矛盾した歴史は刀剣の鑑賞と学習を通して肌身に感じているところです。加えて私は『刀剣乱舞』9年選手で、数多の刀が美術品として愛された時代を受け入れつつも戦場に駆り出されて嬉々とする姿をずっと見てきました。
だから伊織の願いが間違いだとは思えなかった。むしろFateシリーズに出てくる他の剣士剣客剣聖と同様に、純粋なまでに刀と向き合ってきたんだなと敬意を覚えてしまった。ならば、そりゃ願うよなと、腑に落ちてしまった。
しかも宮本伊織「貞次」がそれを言うんですよ。貞次と言えば青江の刀工名でして、青江は『Fateシリーズ』において佐々木小次郎の枠に収まっている男の愛刀、『刀剣乱舞』において上記の通り微睡みの時代を受け入れつつも戦に血を滾らせる刀の筆頭。そして私が実際に特に好きな刀で、博物館などでの展示ではいつもその美しさに吸い寄せられて展示ケースに額をぶつける対象です。
「貞次」ならしょうがない。こんなの、そう思うしかないじゃないですか。
しょうがないので先に進んだ。「ここから先は地獄だぞ」という声をどこかに聞きながら、だろうなと思いながら、願いに手を伸ばさせた。望むに任せて相棒と死闘と繰り広げさせ、そして結末を迎えた時、「ああまたか」と天を仰ぐ思いでした。
私が心を寄せた男、人の世に相応しからぬ願いを抱いてしまった者、ゲーム1本まるまる付き合ってきた親愛なる主人公、なぜそうやって死ぬ。この瞬間、私は「Fate」というタイトルの意味を初めて思い知らされました。宮本伊織貞次は私にとって悪い部類の、けれど避けようも抗いようもない「運命」でした。
■ SRからGOへ
彼の結末は彼にとっては最上の幸福だったのでしょう。わかる。けれどこちらとしてはやるせなくて仕方ないんですよ。
逸脱した者は死んで当然なんて思いたくない。こんなところで満足してほしくない。もっと先に進んで、もっと幸せになってほしい。なるべき人でしょうあなたは。なに勝手に終わってるんだ。
だからこそGOでのコラボと実装、自カルデアのサーヴァントで彼と戦える日が来ることを願ったし、思いの外早くに実現したことはとても嬉しかったのですが。私の求めていた彼は残夜の幻想でしかなく。彼は私の願いとは裏腹に、満足し、消えてしまっていた。
見方を変えればカルデアの宮本伊織貞次は妄執を昇華し悟りの境地に至った「その先の宮本伊織貞次」だし、だから残夜幻想の剣鬼を超え得る、それはわかる。そもそも英霊とは生きた人物の影法師に過ぎず、人の思惑とマスターの資質によって形を変えたもの、それもわかる。ぶっちゃけ剣鬼・宮本伊織貞次はそのままカルデアに来ても幸せになれなさそうだと思ってたし、カルデアとマスターに適合する形で顕現できて良かったねとも思うんですが。
何と言うか、結局彼自身はどこまでも澄んだまま、届かないところにいってしまった。それがひどく寂しく、悔しく感じられたのですよ。ほんと桂男にろくなやつはいねえな。
アペンドスキルのLVを上げる際に「忘れじの灰」が大量に求められるので、たとえ思い出せずとも彼は何一つ忘れていないのだという解釈で自分を騙すしかないかなぁ。でもそれは騙しでしかなく、どうしてもモヤモヤしてしまう私はやはりFateとは相性が悪いのでしょう。
とりあえず今できる限り彼を強化して剣鬼を超えることはできたので、潔くFateと訣別した方が身のためなのかもしれない。バレンタインを見届けたら。と言いながらまたずるずる続けるのかなぁ、続けてそうだなぁ。