見代
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公開:2025/1/17

以前、火事を見て「私は死のその先を見たかったのか」と述懐したので、今回は死について少し書きたい。と言ってもタイトルの通り、主に猫の思い出語りだ。

私が最初に触れた死は飼っていた猫のものだった。元々は野良猫で、地域の他の猫にいじめられていて、祖父の家に迎えることになったと記憶している。そしてある日、家族で終日出かけて夜に帰宅すると猫は顔の真ん中、鼻からだったのか口からだったのかよくわからなかったが、血を流していた。インターネットなんてなかった時代なので電話帳で夜間対応してくれる動物病院を探し、託し、翌朝改めて病院に行くと猫は死んでいた。出会って1年後のことかと思っていたが、確認したらたったひと夏のことだったらしい。

異様にその猫が好きだった私はものすごいショックを受けて、泣きじゃくった記憶がある。そして、なんか、自分を責めた。出かけなければ早く気付けたかもしれない、他の動物病院に連れて行けて死なせずに済んだかもしれない。いま思えば行動の自由なんてなかった幼稚園児が背負う必要のないことだが、とにかくそう思ってしまった。

そして、ただの幼稚園児がなぜそこまで考えたのかふしぎだが、人生で初めて出会った死なのだからとことん向き合おうと、ほぼ文字通りそのままのことを思った。祖父の家に行ったら必ず猫の墓のある山まで連れて行ってもらって手を合わせ、だがそれもやがて禁止され私の心は行き場を失い――いや供養なんて今からでもどこででもできるじゃないかと、昨年やっと思い至った。

今、私の目の前には小さな置物がある。猫のシルエットに象られた手のひらサイズの木製の板で、胴体部分には猫の名前が焼き入れされている。位牌と呼ぶにはあまりにカジュアルだし、未だに手も合わせられていないが、あの猫を想うよすがが視界に入る生活は思いの外慰めになっている。

と同時に、ふと思った。異類婚姻譚、人外と少女、死別した相手にいつまでも縛られる人間の物語、好きだなと。大学で「自分が好きなもの、興味を持つものには必ずそうなった理由がある。まずはそこを知るべきだ」と言われたのを思い出した。ここじゃん。業が深い。

幼少期の思い出深い猫はもう二匹いる。一匹は、蟻にたかられ死にかけていた子猫だ。動物病院に連れていき、そのまま飼い、気づけば祖父の家に預けられていたが行方をくらませた。もう一匹は、生家の敷地内で生まれた猫だ。親猫が帰って来なくなったので地域猫として世話をすることになったが、四兄弟の中の一匹が異様に私に懐いてくれた。やがて引越しと共にその猫と別れることとなり、それっきりだ。

経った年月から考えるに、どちらもとっくに死んでいるだろう。そのこともずっと頭の片隅にあって、今年に入って“位牌”を追加してみた、のだが。

単純に物量が増えたことによる圧の増し方と意識の分散が甚だしくて処遇に悩んでいる。ひどいオチだ。

@kmgtr
薄暗い拗らせ雑記をメインにだらだら書いている人。目標更新ペース最長1ヶ月。99%適当発言。文体は定まりません悪しからず。感想レターのお返事はsizu.me/kmgtr/posts/i6rdb3iv4nmd